あお日記

2002年09月17日(火) 1枚の写真


 横浜ベイブリッジの袂にある大黒パーキングに着いたのはおそらく深夜0時頃だったと思われます。色々なことに考え込んでいた2年生までは夜になると異常なくらいの睡魔が襲ってきて睡眠だけはしっかりと取っていた。取りたかったのではなく気がついたら寝ているのだった。その代わり昼間はギンギン。自分はストレスなど溜め込むような性格ではないと信じていたが、今思うと精神的にはかなり不健康な学生だった。それが3年になり部員たちに溶け込むようになってからは夜が眠くないのだ。決まって眠いのは数学と生物の時間(笑)。実際寝ていたし...。夏休みに入ってからは、寝るためだけに家に帰るような状態で睡眠不足が苦にならない日々だった。もちろんこの時も私個人は眠気などあったはずはない。他のメンバーも同様だっただろう。

 ミルが撮影者となり、つり橋を背景に集合写真を撮った。その中の私はどこからどう見ても学生で、ややはにかんだように笑っている。

あの頃は写真に撮られることが嫌いだった。写真は正直だ。学校生活に溶け込めずに毎日仏頂面でいた自分がカメラを向けられただけで笑えるはずもなく、だから高校生から22歳くらいの時に撮った写真はほとんどない。

あの時あそこで撮った写真は、私だけでなくそこに写っていた人間の現実をよく現していると思う。人間には皆それぞれ勝手な思惑があって、それを実現しようとする者、考え込む者、背を向けてしまう者、抗っても抗っても先など見えなかった。


今手元にその写真はないのですが、憶えています。

真ん中にはじゃれあうようにして住吉にちょっかいを出している周さんの疲れた笑み。
その右隣にいっちゃんがいつものように満面の笑み。
いっちゃんの肩に手を置いてラザや私のほうを覗い見る大人な横顔の銀さんの笑み。
左端には視界外のなにかに向かっておどけたような表情をする童顔のタケダ。
その横に私。
私の後ろに爽やか系で微笑むラザ。


 正直言えばその写真はあまり好きなショットではない。皆あの瞬間を楽しんでいたのに、何か痛々しいのだ。何回も見てはいないのに記憶に残っているのはたぶん、その後の仲間たちには色々とあって、それでも今現在において「仲間」と感じている人間たちがそこに写っているからだ。

 恥ずかしながら、この横浜が思い出になるまであれから10年もの時間がかかってしまった。つまりはいっちゃんと再会して当時の記憶をシンクロさせる自分を「不自然だ」と彼女に指摘されてはじめて私は...そこに写ったいっちゃんの笑顔を忘れられたのだった。




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