あお日記

2002年09月13日(金) 返答


 2年の頃は色々なことに対して考えをめぐらせていた私だったが、この頃は幾分気の抜けた(世間慣れ?)時期で、かつて忌み嫌っていた自分を演じても感覚に訴えてこないのだった。それを自分では「怠惰」と片付けるだけでそれを改善しようという気概がなかったのは事実である。

 周さんに問われて、私は久々に考えを脳内に張り巡らせた。短時間ではあったが、その周囲の沈黙が気にならないくらいに、今自分が言うべき言葉を捜した。ただこういう時に浮かぶのは、普段から自分の中に多く感じている「自分の中の真理」それが出てくるだけなのだ。あとは意を決し、己が考えを信じて言い出すしかないのである。


 今思うとそれは「第三者的」それ以上でも以下でもなく、誤解されても当然なくらい冷めている言葉だったかもしれない。その台詞を私が吐いた後、周さんはラザを車外に促して2人で話を始めたのだった。あの時はそれが何の意図かなんて考えも及ばず、自分の言った言葉の影響力など知ろうともせず、ただただ自分にとって正義であれば自分は救われるものだと感じていた。おそらく周さんは私の舌足らずな言葉を客観的に評論してラザに伝えていたのであろうが、それは大いに私の弁護になっていたと確信している(笑)。

 「先輩、ごめんなさい」 唐突に真後ろからいっちゃんがそう言った。その中にどこまでの謝罪が含まれいたのか今もって知る由もない。あの時の私は振り向きもせずに駅前の人の流れを車窓に捉えて頬杖をついたまま、何か釈然としない自分の矛盾を感じていたのだろうか。あれは「後悔」なのだろうか...? 


 最後まで迷ったが、当時私が3人に向かって言った言葉は書かない。ただあれを私の口から聞いたラザが今もって私の友人でいる事実が不思議なくらい、彼を痛めつけるに十分な言葉だったはずだ。

 私もラザもお互い類友で鈍感なのか??(笑)



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