確か文化祭前の9月、まだ残暑の厳しい頃だったと思う。
周さんの車は空調が効いていて、車内は半袖では幾分肌寒いくらいだったかもしれない。運転手はもちろん周さんで助手席に私。私の真後ろがいっちゃんでその横がラザ。
...私は今でも結構鈍感なのだが、それを示す端的な事例がこの年の夏休みにあった。あの日は例のように部室で集まった面々と共に銀さんの自宅近くの河原に涼を求めに行った時のこと。あたりはすっかり日も落ちて暗かったので20時は回っていたはずだ。
ふと周囲を見渡すと前述の4人。そこでふと周さんが私に話しかけてきた。それがかなり唐突で場にそぐわない内容だったのだが、それに違和感を覚えつつも、彼の「ちょっとあっちで話しよう」という促しに素直に答えて我々はラザといっちゃんを2人残して帳の中へと姿を消した。それがラザに対する周さんの気遣いだとはツユ程も気付かなかった私は2人の見えなくなった帳の中で熱心に周さんのふった話をし始めたのだった。
後日ラザが「あの時2人が気を使ってくれたのに、何も話できなかったよ」といった具合で我々に謝罪してきたことで初めて私は周さんの気遣いに気付いたのだ。 ...
車が最寄駅のロータリーで停車した。そこで人待ちをする間だったと思うが、周さんがラザの片思いといっちゃんの気持ちの核心に迫るために何故私を同席させたのか? それは普段私が発揮していた第三者的な論客としての意見を求めるものではなかったはずだ。そして明らかに私はラザの恋を支持する「味方」であったはずなのだ。 で、周さんがトツトツと語りだしてそれに後の2人が相槌を打っていくことになるのだが、私は終始無言で彼らの真剣なやり取りをただ聞くだけだった。
(正直、この手の話は苦手だった/笑)
周さんの説得も、この頃はまだ未熟だったのかもしれない。だがその後幾度となく共感していた彼のその論破にはじめて反駁した私を作ったのは紛れもなく「いっちゃん」なのだった。彼女に対する気持ちがそれほど大きかったとは自分でも驚きだったが、その反駁はまだこの時のことではない。
遠くで眺めているような姿勢でいる私に苛立ったように周さんが話をふったのは、今ではそれが友人として当然のことだったと理解している。
周さん:「あおちゃんはさっきから黙ってるけど、ラザのこと好きだろう?」 私 :「...そうですね。好きです」 周さん:「○×さん(いっちゃんの苗字)のことも好きでしょ?」 私 :「...好きですよ」 周さん:「じゃあなんで黙ったままなの??」
その語気はいつになく強く、私に返答を促したのだった。
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