危険域。 Master:(c)夏目

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2004年11月19日(金) ■
 愛 夏彦v

 
 
 
 
 合格したわりに感動がないねと言われたので。
 否、別に感動がないわけじゃなくて実感がないだけで。
 あと、祖母がひたすら煩いから…嬉しかないです。
 合格したことは嬉しいですよ。
 でも実力じゃァないです。
 実績ですから。
 でもそれは想像で真実じゃないでしょ。
 だから実力じゃない。
 まァ二年間我慢した結果がこれなら、いいかなって思う。
 うん。卒業まで頑張るよ。
 やりたいことやり尽くすよ。
 今はひたすら…何か書きたい。



 生徒会室の身辺整理をしたいたとき、二年のときに書いた小論文が出てきた。懐かしいので色々と読んでいたら、なんだか自分らしくて心が和んだ。
 こんなことを書いていたんか…と苦笑したものがあったのだけれど、それがなんとも自分らしくて…アハハ。
 授業で書くなよ…みたいな。
 以下。
 「嗤う伊右衛門」のネタバレがあります。
 映画版「嗤う伊右衛門」のレンタルがスタートしていますので、見てからのほうがいいかも…と云っても、夏目の場合は映画ではなく原作の話をしているので、微妙に違ったりするんですが。
 ではではお目汚し∩夏目世界をどうぞ(笑
 因みに拙いです…。
 
 
 「嗤う伊右衛門」読後感想・乱文にて失礼
 夏目嶺姉

 先日映画化した、原作京極夏彦「嗤う伊右衛門」。この作品は彼の有名な「四谷怪談」を、京極氏が独自のタッチで書き上げた傑作である。彼が好むところの「巷説」、所謂「巷の噂」をあらゆる角度、あらゆる題材から数多く集めて練り上げたものだけに、本来ならば「怪談」であるはずの「四谷怪談」が、実以てリアルに「現実」として描かれている。そのテクニックには簡単の溜息が漏れると共に、身震いするほどの快感がある。
 彼の「巷説」に拘る姿勢は他の著作物にも如実に表れているが、この作品に於けるその熱意はまさに「怪」に対する愛故なのだろう。自他共に認めるところの「妖怪馬鹿」であるだけに、彼は「怪」に対して決して中途半端なことはしない。だからこそ、この作品もあらん限りの情報を集めて世に出されたものなのだろう。彼の読書量、そして蔵書量は驚愕の一言に尽きる。「四谷怪談」に関連するあらゆる蔵書を読み、そうして「巷説」を蒐集したに違いない。
 さて、作中登場する様々な人間達が細かく緻密に絡み合う、と云う展開は作者の得意とするところであるが、無論、この作品に関しても例外ではない。
 注目すべきは全員が主人公、そして全員が脇役であると云う点である。これは個人が個人のみで世界は成り立たない、と云う意味ではないかと私は解釈する。そしてこの点も矢張り、他の作品も同様なのである。
 登場する人物全てに役割が与えられ、だからこそ生きた人物が文面に現れる。物書きの使命は、無機質なそれを如何に読み手へ「生きている」ように伝えるかである。彼はそれが巧みであり、それへ仕掛けた罠を、業を惜しげもなく披露する。
 京極氏の己の作品に対する「完璧」さを求める姿勢は、常に彼の新しい面を覗かせてくれる。例えば、「嗤う伊右衛門」に於いて京極氏が力を注いだ「愛」と云うテーマ。彼が作中描いた「愛」は、燃え盛るようなとか、身悶えるようなとか、そう云う生易しいものではなく、まさに「狂気」である。今まで彼が描いてきたどの「愛」とも違い、そもそもの意味を超越した「欲望」である。様々な人間が様々な「愛」を持っている、と云うことを記した彼の新たな「世界」が又ひとつ、出来上がったのわけである。
 「言うな・解っておる。又左衛門、“誰にも渡したくなかった”か。――――俺が貰うた」
 岩の父である又左衛門が、自らの手で美しい娘の顔を崩したと、伊右衛門はすでに知っていた。それも愛故の「狂気」である。そして伊右衛門にとって同じ想いを持つだけに、その答えは容易に察せられたのかも知れない。
 自分が貰ったと云ったとき、伊右衛門がはじめて――嗤った。この「嗤い」は「嘲笑」である。心の歪みを表に出した伊右衛門はそこではじめて、「嗤」えたのだ。しかしこの「嗤い」が誰に向けられたものなのか、それは中々判じ難い。読み解こうとすればするほど、術中にはまり抜け出せなくなる。
 「ははははは。領った。領ったぞ。生きるも独り。死ぬも独り、ならば生きるの死ぬのに変わりはないぞ。生きていようが死んでいようが汝我が妻、我汝が夫。」と云う、最期の伊右衛門の台詞は、「わらい」と共に描かれる。岩の名を呼び、岩と共に笑う。これまでの展開から来た伊右衛門のこの台詞には、深い感動を覚える。
 岩への愛は、死をも超越するのだ。
 衝撃的なクライマックスだったにも拘らず、すんなりと結末を受け入れられたのは、京極氏の業であり、罠である。様々な展開で読む者を翻弄し、搦め捕って誘う。最後までどうなるかわからない、最終局面での度肝を抜く裏切り、どんでん返しに続くどんでん返し。幾ら既存の物語があろうとも、それらを見事に打ち砕く京極夏彦はまさに、天性の詐欺師である。幾作も読めば病み付きになり、彼に騙されたくて仕様がなくなる。
 謀られ、切り裂かれた二人の男女。互いを求め合い、狂うほどに想い合った二人の愛に、図らずとも憧憬の念を抱く。そして、涙する。
 「死」で以て解決する物語は低俗だと思っていたけれど、「結合」する形で終わるこの作品は、私の中に新たなるものを教えてくれた。実以て「人間らしい愛」である。本能的であり、情熱的であり、そして又、人間だからこその複雑な心の表れがそこにはある。本能では解せず、又、理性で以ても解せないほどの複雑なその感情は、すでに彼らの中に「怪」を住まわせているようにも思う。
 この作品は人間の様々な心を映し出す鏡のようなものである。誰しもが心の中に持っている「闇」を見事なまでに表現している。読んでいる内に「敵」がいないことに気がつくだろう。人間の複雑な、それでいて何よりも簡潔な繋がりにも。
 心の中の「闇」は誰しもにあり、故に「正義」が存在しないことは「巷説百物語」にも登場している又市が語っている。
 伊右衛門と岩の最後の結末を、又市は静かに弔う。
 りん。
 御行奉為――。
 結局、最後には小股潜りの又市のみが残り、その他は全て努々己の世界に消えた。
 この後、又市は新たな仲間を得て、新たな旅をすることになるのだが、それはまた別のお話。
 
 京極夏彦氏に、愛と尊敬と畏怖の念を込めて捧ぐ。



 ってものを授業中に書いて課題として提出していました。
 この他にも色々とやらかしているんだけれど、それは阿呆らしすぎて書くのが憚られる。
 それでもこの小論文についている教員のコメントは「いっそのこと論文のように書かせてあげたい。好きなだけ長く」と書かれていたりするので、自他共に認める「京極愛好家」であったりする。
 クラス内でも暗黙の了解ですよ。(笑
 教師間でも微妙にソレ。
 語らせるな、長いぞ。ってな具合。
 授業中に話しふられたら止まらない。
 ノンストップで話し続ける。
 書いている最中はひどく幸せなのだけれど、書き上げて提出すると己の仕出かしたことに怯えたりする。
 それでも止まらないのだから仕様がない。
 もうこれは病なのですよ。ふふvv

 
 
 チョコで喉焼けした…。
 甘いもの駄目だなァ…しばらく声辛いや。



 
 ではでは。
 本日はこれにて失礼。


 私信 みなみ
 いい加減にしないとホントにまずいぞお前…。


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