川崎連絡会議日報

2006年06月04日(日) 書評 「釜ケ崎と福音」(本田哲郎)

朝日新聞 書評欄 に本田哲郎さんの著書「釜ケ崎と福音」が紹介されています。

      釜ケ崎と福音 [著]本田哲郎
                [掲載]2006年05月28日
        [評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

 世間は『ダ・ヴィンチ・コード』の話題でもちきりだけれども、イエスとマグダラのマリアが結婚して一児をもうけた、くらいで騒ぐんじゃなーい。派手さでは及ばぬものの、この本が主張するイエス像も従来のイメージを覆すという点では相当なもの。

 高い人格と学識を持ちながら、貧しい人たちとともに歩んだ高貴な人物、なんてとんでもない。彼はとことん貧しく、へりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、「誕生から死まで、底辺の底辺をはいずりまわるようにして生きた」。「食い意地の張った酒飲み」で、ヘブライ語も読めない無学の徒で、「大工」と訳されている職業の実態は石の塊をブロックに切り分けていく「石切」で、それは当時の最底辺の仕事だった。

 イエスだけではない。マリアは律法に背いて父親のわからぬ子を身ごもった罪深い女だから出産の場さえ与えられなかったのだし、そこに駆けつけた「東方の三博士」が怪しい異教徒の占師なら、羊飼いも卑しい職業。12人の弟子だって大半は漁師、あとは徴税人マタイ、極右の過激派くずれというべき熱心党のシモン。いずれも当時のユダヤ社会では「罪人」とされる賎業(せんぎょう)で、つまりイエスは社会から排斥、差別される貧困層に属していたのだっ!

 ギリシャ語の原典にはそう書かれている。大方の聖書は誤訳しているし、教会の教えにも弊害が多い。と主張する著者は、93年から釜ケ崎の労働者と連帯して闘っているフランシスコ会の神父さん。本書には「こういう人たちにこそ布教しなくちゃ」と思っていた彼が「洗礼は受けない方がいいんじゃない」と職務にあるまじき考えを持つに至った過程も綴(つづ)られている。

 私は以前、本田訳の新約聖書『小さくされた人々のための福音』に本当に驚き、敬服したことがある。聖書の物語に多少の造詣(ぞうけい)がある人はテキストの解読に興奮するだろうし、そうでなくても貧困や差別を考える上で多く示唆に富む。「弱者への支援」に潜む差別性を鋭く突きながらも口調はユーモラス。現場感覚にあふれた実践の書だ。

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ほんだ・てつろう 42年生まれ。神父。著書に『イザヤ書を読む』など。


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