川崎連絡会議日報

2004年08月08日(日) 思いを新たにした59年目のヒロシマ

「被爆59周年ヒロシマ行動」に参加してきました。

8月6日に行われた「ヒロシマ大行動」には2800人が参加。原爆ドームから広島市の中心街をとおり、原爆資料館まで行進してきました。
広島は「暑い」という印象がありますが、それほどでもなく幸いでした。

集会には韓国・大邸や中国・重慶、イラクからも参加があり、平和の誓いを新たにしました。

先のサッカーアジアカップも重慶で行われて、日本選手への強い反発が起こりましたが、重慶では1938年から1943年まで、爆撃機延べ約1万機によって218回の無差別爆撃が行われて、死傷者、行方不明者を含めて3万5000名以上の被害者が出ました。

7日には午前中に平和祈念公園の原爆資料館を見学(約1時間、時間の関係で、最低でも2時間は必要だと思います)、その後広島の語り部として小中生に広島を訴えている室木さんの案内で約2時間、平和記念公園内の「碑めぐり」をしました。

広島には何回かいったことはあるのですが、詳しく公園の中を見たことは初めてでした。知らないことがたくさんありましたし、理解もより深まったと思います。

碑には「原爆」という言葉そのものが非常に少ないこと。東西冷戦という時代背景が大きかったようです。また報道規制、それによる自己規制なども影響していたとの説明を受けました。

公園中心にある平和記念碑を囲むように周辺にたくさんの碑がありました。子供たちの碑が多くありました。
これは、当時(1945年)8月2日から1週間の計画で5箇所の避難場所作りのために、建物撤去作業に軍隊のほかに中学生も3万人動員されていて、たくさんの子供が犠牲になったということです。

それと、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」がありました。東京の九段下にもありますが、「なぜ、わざわざ作るのか」−同じ公園には原爆資料館もあるわけですから。
非常に違和感を覚えました。

来年は、被爆60周年になります。
憲法改正や教育基本法の改正も大きな焦点になってきています。
来年は、もっと大きな取り組みを考えたいと思いました。

上田


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