番外編 母のお出掛け - 2004年03月31日(水) 昨日から、自宅介護中の祖母がショートステイで1週間ほど病院へ行っている。 こうして私たち家族は3〜4ヶ月毎に、ちょっとした介護休暇をもらう。 この間に、普段はなかなかしっかりと掃除ができない、祖母のベッドのまわり、 床、そして大切な医療道具まわりなどをきれいにするのだ。 昨日の朝まで寝るモードに入っていた祖母は (2日ほど起きていると、翌2日ほどは完全に寝てしまう)、 もしかしたら、病院で目が覚めて何事か・・・とびっくりするかもしれない。 さて、本日のお出掛けは私ではなく、我が母。 約1年ぶりの着物である。 私をきもの道に引きずり込んだのは、この母なのであるが、 本人は仕事と祖母の介護のため、なかなか着物を楽しむ余裕がなかった。 3月いっぱいで仕事も引退するため、 そろそろ楽しめるかな、というところだそうだ。 昨日の晩に、私が半えりをつけ、今日の着物をたんすから出す。 1年前と同じ着物と羽織。三尺帯だけ、春色のものを選ぶ。 紬にしたら、と勧めてみたが、まだ着慣れないこともあり、 一度袖を通した木綿の着物で気軽にでかけたいのだそうだ。 着付けのお手伝いをしてみました。 やっぱり自分で結ぶより、リボンがうまくできるわ。 ギュッと力が入るからしっかり結べる。 母の着物は松阪木綿。木綿の着物が大好きで、 これからはいろいろと揃えるのだそうだ。 自分で着るのと、人の手伝いをするのとは大違いで、 特に母は まるちゃん だから、ちょっと衿合わせに苦労。 襦袢の衿合わせがうまくいかなかった・・・と自分でもかなり後悔の様子。 そんな時の応急処置の仕方も、慣れとコツだもんね。 がんばって着慣れていただきたく思います。 小物はどうするの? おがわやさんで購入した黒の縮緬のバッグには、 彫りの入った飾りボタンがついている。 イタリアのワインの会の時にお店に飾ってあって、 みんなでかわいい、かわいいって言っていたバッグが、 何日か後に、家にくることになっていてびっくりした。 朱赤の草履はお誂え。もちろんおがわやオリジナルの草履。 真っ赤な草履が欲しい、と言っていたと思ったら、 いつのまにか 出来上がっていた。すばやい・・・。 極太の鼻緒が母好み。 玄関先でパチリ。隣のクンシラン、見事でしょ〜。 もう二鉢あるんだけど、これは家の自慢の花。 ・・・母の着物の話だった。 赤い羽織はウール。赤は母の大好きな色である。 かわいいかすり柄で、最近は、なかなかこんなウールの反物は見あたらない。 おがわやの先代の頃に母が買ったもの。 今は引退してすっかりお顔を拝見しなくなってしまったが、 前社長のファンはけっこういらっしゃると思います。 かくいう私もそのひとり。 結局こうなった。 新しい草履を玄関先で履いてみたものの、足が痛いらしく、 鼻緒をしごいてみても、やっぱり痛いらしい。 そんなに指をつっこまないで、つっかける程度に履くんだよ、 と言ってみたけど、慣れないお出掛けだから、と下駄に変更。 赤の塗り下駄にテディベアの鼻緒のこの下駄は、 私が散々履いていたので(母の持ち物だが)、 鼻緒はやわらかくなっている。 しょうがないなぁ。 んじゃ、この赤いお草履も私が鼻緒をやわらかくしてあげるよ。 で、今日のお出掛けの場所は、自由学園明日(みょうにち)館。 自由学園の創設者、羽仁夫妻が建築家のフランク・ロイド・ライト氏に頼んで、 大正10年に校舎として建てたもの。重要文化財である。 その明日館主催のお花見昼食会&建物見学ツアーに、母の仕事仲間が誘ってくれた。 ドレスコードが着物、ということらしく、 実は昨日の大雨で母はかなりキャンセルを考えていたようだけど・・・。 ミッキーちゃん出発する。 親しい友人からは、ミッキーちゃんと呼ばれているらしい。 気に入っているようなので、私も時々そう呼んであげる。 膝と腰がよくないので、最近は杖がかかせない母である。 お気に入りのものを電車に置き忘れてしまったため、 スペアのものを使っているが、 ださい・・・と気に入らないみたい。 そのうちまたお気に入りを見つけてください。 気を付けていってらっしゃい。 さて、私はといえば、今日は祖母の病院へ顔をだしてから、 野田秀樹の芝居、透明人間の蒸気(ゆげ)。を見に行く。 宮沢りえちゃんを舞台で見れるのは、ちょっとワクワク。 今日の着物は、きものハンガーにかけたままのピンク紬。 知らないおばさまのアドバイスを胸に、着付けしたいと思います(笑)。 -
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