桜の中で - 2003年04月07日(月) 靖国神社はやっぱり参拝には行ってはいけないところだと思っている。 戦後、50年以上の時間がたったというのに、 解決されていない問題がありすぎる。 韓国の従軍慰安婦だったおばあさん達や、 日本軍の一員として闘うこと余儀なくされた人達の遺族の方々と、 多少なりとも関係を持った後では、より強くそのことを思った。 議論されているすべての問題に、一度に片が付くということはあり得ないことだと思うけれど、 時間がかかりすぎていることは、否定しようのない事実なのではないだろうか。 でも靖国神社は、参拝目的ではなく、別の目的で行ってみたいと思っていた場所でもある。 毎年行われる奉納夜桜能は、見てみたいと思っていた。 日本人は桜好き、というフレーズにすごく抵抗を覚えた時期があった。 花見だと言ってこぞって場所をとり、ここぞとばかりに群れて飲み騒ぐ日本人体質というものに、 嫌悪感を覚えた時期もあった。 (今でもあまり好きではないが、自分はやらない、という程度のものになったかな。) そんな私にとって、桜は近寄りたいけれどその花にまとわりつく社会性のゆえに 私を遠ざけるものでもあった。 そんな靖国神社と桜と私をつなぐものがあるとしたら、 それはこの夜桜能だろうと思っていた。 本日は、友達のようちゃんと夜桜能鑑賞である。 夜桜を意識してみました。 この江戸小紋は、桜の花と蝶のモチーフ。 蝶の羽の中には、細かい柄が彫られているのだが、 そのパターンは複数あり、とても手の込んだものだ。 一昨年に、目白にある工房を見学に行った時、 ちょうど職人さんが染めていらしたのが、この型。 その時はピンクに染めていたのだけれど、 工房にあった反物の中から、ブルーグレイを選び、 染めてもらうように頼んだ。 染めには、その日の天候がかなり影響するから、 全く同じ色にはならないですよ、と言われたけれど、 それはもちろん承知のこと。職人さんにおまかせします。 かくして待つこと3ヶ月。白い桜と蝶がぼぉっと浮かびあがる、 なんとも幻想的な布が私の前に現れた。 桜と小物も夜桜風味♪ 羽織は黒の無地紬。 ピンクの羽裏はドレスと靴のフランスふうのイラストが 絵羽に染められている。 ビーズの羽織ひもには、布で作った桜の花がちらちら。 帯締めと帯留めはセットになっていた。 以前に、おがわやのセールで棚の下の方で隠れるように置かれていたものを、母がレスキュー。 「かわいいと思って仕入れたのに、なかなかお嫁入りが決まらないんです。」 とは女将さん談。 いやいや、これがなかなかいいのだ。 「使える」帯留めである。 こんな帯留め、私ぐらいしかする人いないだろう、とはようちゃん談。 この半襟、ついにデビュー。 足下は、半襟とおそろいの鼻緒のたたみ表のぽっくり下駄。 全体を青系でまとめてみたんだけど、 「いやぁ、今日は渋いね〜。」とは、ようちゃんの感想。 そっか、渋いかなぁ。帯は、6日に締めたものと同じ。 演目は、舞囃子「養老」狂言「梟山伏」能「松風」。 ま、いろいろ言ってはみたけど、一番の目的は萬斎氏だったりする。 梟の怪を払おうと祈祷する山伏が、祈れば祈るほど怪は強くなり、 最後には自分までとりつかれてしまうという、なんとも情けない山伏の話。 毛繕いした後に、ほっほう〜と手をばたばたさせるところは、 めちゃくちゃ笑えるのだ。最後に、舞台に一人残された山伏萬斎が、 ほっほう〜と梟になってしまうところの間の取り方は絶妙。 梟萬斎かわいすぎっ♪ 能舞台にかぶさるような桜の木は、時折、その花びらを私たちへ散らしてくれた。 髪に残る小さなハートを払ってしまう気持ちにはなれず、しばし髪飾りとして楽しんだ。 靖国神社と桜と私・・・その締めくくりは千鳥ヶ淵。 夜の闇と桜のピンクは、その余韻を黒とピンクの羽織に残し、 家路につく私をつつんでくれた。 -
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