Spilt Pieces
2012年02月28日(火)  Facebook
今さらながら、1月の友人日記に呼応して。
誰かの日記に反応することなど珍しい気もするが。

Facebookを最近ちょこちょこ書いているけれど、扱い難しい。
見栄を張っているわけでもなく、ライトな日記という感じ。
そんなに反応を期待しているわけでもないけれど、人の目が気にならないかと言われるとそれもまた嘘。
見せたい自分というより、見られても平気な自分しか出さない。
それは、日常生活においてもそうであるように。

周りを見ていて、ああポジティブだなあとよく思う。
または、寂しがり屋だなあと。

昔使ってもらった芝居で、演出に言われたことがある。
ネガティブな自分を常に出している人よりも、普段明るい人の闇をふと垣間見えたときに人はどきりとするものだ、と。
だから、悲しさを表現するなら、悲しいと言ってはいけないのだと。
全面的に賛同できるかどうかはともかくとして、何となく、納得した覚えが。

匿名性が確保されていないことよりも。
オープンにしたい人・したくない人の区切りができないから、全開で自分を出すわけにはいかないのかもしれないと思う。
色んな人がいて、それを選べないのはまた事実。
善意の集合…ある意味それは嘘で、ある意味それは真実。
意図的な表現かもしれないと、推測を挟めてしまうから、純粋な善意を汲み取ることもまた難しいので。
表面的か、深く読むか。

まとまらない&ここを見ているかどうかは分からないけれど。
エンピツの場所は、私にとって唯一普通に言葉を書いている場所のような気がする。


6月の芝居に向けて台本を書かねばと思いつつ、ネタが出てこない。
いろんな意味で現実的に暮らしすぎていて、感受性が鈍っているのだろうか。
ああ、願わくば一箇月くらい一人旅に出たい。
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