Spilt Pieces |
2010年03月25日(木) 認知 |
最近考え方が偏ってきたなあと思う。 ああ嫌だと思いながら、自分自身窮屈なので、 変なんじゃないかと疑うことにした。 先日友人が家に泊まりに来た。 妙に苛々してしまった自分に落ち込んだ。 彼女は長年病気を抱えていて、 最近大分調子がよくなってきている。 そのこと自体とても喜ばしいことのはずなのに、 強くなった彼女の図々しさが気になってしまった。 そう思ってしまった自分に何より落ち込んだ。 周囲からも祝福されて結婚した私は、 きっと彼女からすると幸せに見えるんだろう。 だから我が儘を言おうともするのだろう。 …そういう思考回路でもやもやしている自分が、 たまらなく嫌になる。 …もしかしたら、この「嫌」も、偏っているのか? どこからどこまでが許していい「図々しさ」なのか。 自分の頭で判断がつかず、友達なのに、顔色を見た。 いつからこうなってしまったのか。 それとも、前からずっとこうだったのか。 よく、分からなくなる。 私には自分の感情がないのか。 彼女は、時折「認知の歪み」という言葉を口にした。 デイサービスに通っている彼女は、歪みを修正する プログラムを受けているのだという。 その結果、前よりもたくましくなったのだと本人は言う。 それを図々しさと感じてしまう自分が変なんだろうか。 もしかしたら、問題を抱えているのは私の方? 最近、何をしても気持ちが晴れなくて、 眠たいのに無意味に明け方まで起きている日があるかと思えば 夫に叩き起こされるまで朝が来たことに気がつかない日もある。 朝から晩まで一人きり、一人の間、時間はたくさんあるのに、 ほんの小さな自分のすべきことを果たすのにもエネルギーを要する。 隣のドラッグストアに行くことや、スーパーへ買い物に行くこと、 洗濯の終わった衣類を干すこと、夕食のメニューを考えること。 全てにストレスを感じて、夕食が決まるまで一日苛々してしまう。 夫のいない日は食事をまともに作れない。 でも…実家の母には心配をかけたくない。 母も、私や弟が相次いで自立し、挙句父の単身赴任が決まったから、 とても心細くて「私は一人」という思いに苦しんでいる。 だから、負担はかけられないし、私が支えなければ、と思う。 夫は三男だが、兄たちが家を継ぐ気がないとのことで、跡取り。 正式な話があったわけでもないのに、兄一人はもう婿に行った。 地域行事や消防団なども夫が行く。 義母は、悪い人ではないのだが、妙にプレッシャーを感じて憂鬱。 同居はしないと言っているのに、やたらと私たちの新居に来たがるし、 しょっちゅう来るように言う。 「今度来るとき…」と、決まっている予定のように言われるが、 私たちがその日に行くことが前提となっている話し方に気が重くなる。 空いているかどうかの確認さえ受けていないのに。 彼の実家やその地域の行事などを私に説明するとき、必ず 「よく見て、よく覚えて」と言う。 義母は、義父が大分前に亡くなっているのだが、義父の両親と 三人で暮らしている。 義祖父は痴呆で寝たきり状態。 限界集落に位置する彼の実家の近所の人たちには、 「いい嫁が来てよかった」「早く子どもを増やしてくれ」と いうようなことを言われるので、夫は「気にするな」と言うけれど、 正直夫の実家に行くのが嫌でたまらない。 自分の親のことだって心配だというのに。 申し訳ないが、結婚したばかりの私にとって、夫の実家は あくまでも夫があっての繋がりの場所に過ぎない。 たまたま夫の家族だっただけなのに、彼らのことを支えて 生きていこうだなんて、現代の、しかも都市部の核家族で育った 私には、とてもじゃないけど思えたもんじゃないのだ。 そんな自分の苛立ちを、自分自身で肯定してあげたい。 だけど、夫の家族や地域に対して苛々するとき、 私は自分を「なんて冷たい人間だろう」と思ってしまう。 自分にとっての幸せって、一体何なんだろう。 色んなものから逃げて、目をつぶって、毎日を怖がるよりも、 相手の要求に従った方が楽なんだろうか? でもそれはきっと…相手の顔色を見ての人生に過ぎないし、 自分の望む人生ではないのだろうと思う。 「幸せ」が、分からなくなってきてしまった。 夫のことは、とても好きだ。 明るくて穏やかで、いつも安定していて、 たまにヒステリックになってしまう私のことまでも、 温かく包んで受け入れてくれる。 付き合う前より、結婚前より、今が一番優しい。 ちょっと気が利かない部分もあるが、尊敬している。 だからこそ、夫の愛する家族を愛せない自分、 むしろ面倒くさいとさえ感じてしまっている自分が嫌になるし、 この本音を夫が知ったらどう思うだろうと考えてしまう。 部屋に散らかった紙袋は、3日ほどそのままだ。 たぶん、この日記を書くくらいの時間があれば、 分類して片付けるところまで余裕でできるはずなのに。 どうしてこんなに簡単なことができないんだろう。 どうして顔を洗って着替えるだけのことに、エネルギーを費やす日々なんだろう。 認知の歪み、という言葉をインターネットで検索してみたら、 残念なことに全部見事に当てはまってしまった。 やっぱり、私は自分の感情を自分でコントロールしているつもりで、 実際はよくない方向へ考えが向かっているのだろうと思う。 認めたくないが…DASを実施しても見事に感情不安定のグラフ。 私が元々持っている性格的特徴が原因のひとつなのかもしれないが、 状況がきっかけなのだとしたら…どうやってコントロールすればいいんだろう。 よき妻でありたい、親孝行をしたい、資格を取っていつか自立したい。 仕事をしたい、いつか子どもも産みたい。 だけど、彼の実家に住むことは涙が出るほど嫌だ。 360度山に囲まれた、数軒しか家がない集落は、 私にとっては、閉じ込められた空間にしか思えない。 自然が豊かという言い方もあるらしいが、限られた人間関係、 過干渉、地域行事最優先の毎日、同年代がいない社会… 考えただけで息が詰まる。 自分が求める生き方と、全く合わないように思える。 選んだ相手を間違ったとは思わない。 それゆえに、苦しい。 条件で人を好きになれるくらい、打算的な人間になれれば楽だったんだろうか。 全てを満たすことなどできないと、頭では分かっているはずなのに。 悲しいかな、「完璧主義度」の項目が、一番高かった。 苦しい。 |
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