Spilt Pieces
2007年12月11日(火)  こころ
何かに対して誠実であろうとすればするほど、歪んでいくのが今の世の悲しさ。
鈍感である方が、小さな痛みに逐一苦しくなることもないし、結局笑っていられるから、多少いいかげんでも周囲との関係はうまくいく。
ずっと、「気づきたくない」と言っていた。
でも今さらどうしようもない。
私以上に敏感で、敏感であるがゆえに優しくて、不器用な生き方を続けている友人は、「それでも私は人の痛みの分かる人間でありたい」と言い切った。
未だに泣く回数は多いけれど、なんて強いのだろうと思った。
私は…いっそのこと、何も感じなくなる日を、時々本気で願っているというのに。


口先ばかりの美辞麗句が嫌い。
愛想笑いで「ありがとうございます」という気にもなれない。
その代わり、自分は思ったことは発しようと思う。
素晴らしいと思えばそれを伝えたい。
違うと思えば、嘘で頷いたりはしたくない。
本当に、今の時代に合わないな、と、我ながら。


自分にとっての「常識」が、非常識であることを知った。
教育というのは怖い、と思う。
断りなく誰かの机を開けることは失礼だと思っていた。
考えるまでもなく。
だけど、それを言うと「うるさい人」という顔をされる。
人の後ろに立つこと、不躾な視線を投げることも、失礼だと思っていた。
だけど、やっぱり同じ顔をされる。
仕事上あまりに口うるさいことを言っていてはコミュニケーションが取れなくなる、と思って、黙った。
そういう風に育った人たちなのだろうと、諦めようと思った。
だけどきっと、それがよくなかった。
日々ストレスが溜まっていく。
自分のすべきことを他人に押しつけることを当たり前のように思っている人。
責任放棄を開き直る人。
逐一、腹が立った。
「気にするな」と言われた。
もしくは、言いたいことがあればきちんと言え、と。
だけど、同じことをしたくなかった。
たとえ誰がどんな態度を取ろうと、自分は自分を貫こうと思った。
でもそれは、心を健康なまま日々を暮らすために、私には向かない方法だった。
理不尽なことが多すぎる。
一つ飲み込む前に、また一つ、二つ。
溜まりに溜まって爆発した。
「気分屋だ」と、陰口を叩かれているに違いない。
波が、どんどん激しくなっていった。


ゆっくり笑うのは、難しい。
あったかい気持ちでいるために、何かをいちいち感じてしまう人間は、どこかで非情になるか、本気で諦めるかしなくてはいけないのかもしれない。
環境のせいにしたかった。
だけど、どうしてこんなにも自分は苦しいのだろう。
苦しい場所を離れても、苦しいまま。
笑えなくなった。
表情筋が動かない。


そんな、つまらない毎日を、それでも辛抱強く支えてくれたのが、彼。
尽きることのない愚痴を、突然泣き出す私を、呆れることなく何時間でも、辛抱強く聞き、そして励ましてくれた。
私は、彼以外の人と付き合うことなど考えられない。
それなのに、別れる以外の選択が思いつかない現状は、引き裂かれそうな気持ちだ。
心にそぐわないことばかりしてきた。
そして今、一番心にそぐわないことをしようとしている。
今朝も電話に出なかった。
メールも返さなかった。
どうすれば、彼をできるだけ傷つけずに終わりにできるだろう。
だけどどんな方法を取ったところで、自分がぼろぼろになることは目に見えていて。
別れなくない。
必要なの。
それでも、住む勇気がない。
たとえばこれから先40年、ひたすら介護ばかりを続けられるのだろうか。
首を縦に振ることなど。
どうして、こんなにも難しくなってしまうのだろう。
私が、一生を介護に捧げても平気だと思えれば、純粋に彼への気持ちだけを貫けるのに。
そんなことできない。


子どものように、ただ好きだという感情で突っ走れれば楽なのに。
何も考えたくない。
いっそのこと、もう目が覚めなければいいのにとさえ。
Will / Menu / Past : Home / Mail