Spilt Pieces
2007年12月10日(月)  きれいごと
「ラベルは気にしない」
ずっと、そう言っていた。
誰かを好きになるとき。
必要だと思うとき。
社会的地位とか、住んでいるところとか、学歴とか、そういうこと。
所詮はきれいごとだったんだなと、彼を好きになって思った。
年を重ねるごとに、感情だけでは走れないことに気づく。
好きなのに、必要なのに、必要としてくれているのに。
私は、今、別れる以外の選択肢が見えずにいる。
ごめん。
覚悟が決まらない。
今後も決まる気がしない。
誰か他に好きな人ができたわけじゃない。
大事にしてもらっていると思う。
あなたの声を一日聞けないだけで、こんなにも寂しいと思う。
それなのに、寝たフリしてしまった。
付き合い始めて以来ほとんど欠かしたことのなかった電話に出なかった。
手元でぶるぶると震えていた。
我ながら緊張した手つきで携帯を握り締めていた。
こんな感情のまま、通話ボタンを押す気になれなかった。
その後、彼からは「電話に出なさい」ではなくて「疲れて寝てしまったかな?ゆっくり休んで」というメールが来た。
今日来たメール、一度も返さなかったのに。


昨日、友人の結婚祝いに行った。
とても幸せそうな姿を見て、心が温かくなった。
台所で鍋の準備をしているとき、彼女が言った。
「いつか、今よりずっと好きな人ができるかもしれない、って、結婚を決めるまでは心のどこかで思っていた。それは、彼にとっても私にとっても、お互い様の話なんだけど。でもね、仮にそこまで好きな人が現れたとして、今隣にいる人を失ってまで手に入れたいほどなのかと問われたなら、好みがどうのこうのよりも、失うことがまず一番耐えられないことだと思ったの。だから、心を決めた。いつか、なんて、考えたってどうしようもないから」
きっと、激しい恋ではなかったのだろう。
だから「いつか」を考えた瞬間もあったのだろう。
それでも、安らげる自分の居場所を見つけた彼女は、どことなく背筋を伸ばして笑っている姿が魅力的に見えた。
羨ましい、と、一緒に行った友人たちと冗談交じりに言っていたけれど、本当は心の底からの叫びに近かった。
素敵だなと思った。


私は、彼のことを好きだと思う。
必要だと思う。
それでも、悲しいことに、彼が住んでいる土地のことを考えると、今のうちに別れた方がいいような気がする。
都会育ちの私には、限界集落に近いような彼の家で彼の親や祖父母と同居して一生を暮らすことは、考えがたい。
有期で住んでいたときは、好きな土地だと思った。
だからそれが自分の我儘だと思う。
一生ずっと、と思うと、思った瞬間、360度山に囲まれた集落に、息苦しさを感じた。
人一倍敏感な自分には、田舎の狭い空間での噂話にさらされ続ける可能性があることは、少し想像するだけでも泣き出したくなる。
そして高齢でやや痴呆が出始めているという彼の祖父母を、ご主人を早くに亡くされて苦労してきたお母さんだけで面倒見ることは現実的には考えがたく、おそらく「嫁」として私はそれなりに介護をしなければならないだろう。
そしていつかは、彼の母のことも。
会ったことのない人。


核家族で育った。
家の中が、どこよりも安らげる場所だと思いながら生きてきた。
外で気を回しすぎて息切れする性格の自分には、緊張を解ける空間である家はある意味生命線。
外に出続けていると、だんだん頭が痛くなってくる。
「同居」は気を遣うという。
うんざりするほど気を遣ってしまって自滅しがちな私には、同居は本当に苦痛。
正直、考えるだけでも嫌だ。
家族も親戚も友達も誰一人いない土地で、山に囲まれて、仕事をする場所もなくて、家事と介護と育児に追われて、脱走しない自信がない。
「やってみる前から」と、思わなくもない。
だけど自分に根性が全くないとも思わない。
相性の問題だと思う。
気を抜ける空間である家を前提として、外へ駆け回っていたいのだ。
要は我儘。
それでも…時折近くのカフェで一息つく空間が好き。
最寄のケーキ屋さんまで片道50キロある町で、一生暮らせる自信がない。
本当に…自信がない。
寂しさに耐えられる気がしない。
自宅まで、車で10時間。


彼は三男だけれど、お兄さんは既にお婿に行ってしまって、公務員である彼は地元に残っているから、そして彼自身が家を大好きだから、いつか同居したいと言っている。
今も部落の行事その他があると、一人暮らしをしているにも関わらず、その都度仕事をしに帰っている。
そのためデートの予定を組めなかったことさえ。
そんな彼の状況や性格を知っていながら、付き合い続けてきた私が安易だったのだとは思う。
それでも、別れられなかった。
穏やかで、地元を愛し、家族を大事にする人。
一度別れる前までとは、全く違う優しいまなざしを私に向けてくれる人。
どんなに私が泣いていても、愚痴ばかりでも、温かく受け止めてくれる。
どうしてやり直したのだろう。
断れば、以前のイメージのままで、私は、未練もなければ今苦しむこともなかった。
単なる気まぐれだった。
あまりに熱心に口説かれたので、つい調子に乗ってしまったのかもしれないし、どうせそんなには変わっていないだろうから無理ならすぐに別れようと思ったのもある。
彼にはそれも正直に言っている。
だけどなんだかんだとトータル2年。
いつの間にか、なくてはならない存在になってしまった。
「別れよう」なんて、言えない。
だって、自分が願っていないから。
必要な人だから。


「覚悟を決めなさい」
母に言われた。
「もしくは、別れなさい」
彼の年齢を考えても、と、言われた。
決めるなら早く、ということだろう。
私は…心は願っていないのに、未来への不安が別れ以外の選択はないかのように何かを訴えてくる。
彼の存在とか、彼のことそのものとか、そういうのではなくて、ただもう彼が置かれている環境…しかも「家」という、彼自身の普段の行いや人柄の評価とは切り離された、彼にとってはどうしようもないような、「ラベル」たった一つのために、別れたくなっている自分が、嫌だ。
これじゃ、「公務員と結婚したい」「東大卒がいい」と言っているような人たちと見方が同じだ。
だけど、どうしようもない。
環境が違いすぎる。
怖いんだ。


ごめん、電話に出られなくて。
最近、何を話していいのか分からなくなってきた。
あなたとのことを真剣に考えれば考えるほど、悩みが深まる。
遊びで付き合えればよかった。
未来のことなど考えずに。
そうできないから、別れたくなる。
こんなこと、仮に言ったところで、あなたには理解してもらえるんだろうか。
ごめん。
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