Spilt Pieces
2003年04月26日(土)  渦
水を一定方向にグルグルかき混ぜると、小さな渦になる。
それが例えば洗面台に貯めた水ならば、小石を落としてもすぐに見つかる。
けれど、もしもそれが大きな河や海だったならば。
確かに小石はあったはずなのに、きっともう見つかることはないだろう。
渦は、遠くでぼんやりと見ている分にはおもしろい。
しかし、時に飲み込まれそうで怖くなる。


イラクでの戦争が沈静化し、連日のようにあった放送が急に減った。
新聞を読んだ。
昨日の夕刊も、今日の朝刊も、一面トップは北朝鮮の核開発問題。
戦争の最中、「○人死亡」と数字で片付けられてしまっていた人々は、今はもう数字ですら表記されない。
ましてや大切な人々を失って悲しむ人の嘆きの声など。
歴史は、全ての人の叫びや祈りを含有することなく記述されていく。
事実だけが、淡々と。
そうでなければ、膨大すぎて書ききれないし、そしてきっと耐えられない。
全ての痛みを受け止めるなど、誰にもできるはずがない。


北朝鮮は、恐れられている。
話題は、その保有する核や金総書記など。
その地で生きる人々の情報はあまり入ってこない。
食事は満足に取れているのだろうか。
考えるばかりの自分を、私は時に軽蔑する。
言い訳がましく、安易に自己嫌悪という言葉を使いたくはない。


自分が悲しいと思うこと。
嫌だと思うこと。
辛いと思うこと。
それを他の人がそう思わないはずもない。
誰もが、幸せでありたいと願うのだろうから。
それを自分はある程度叶えられていて。
だけど、その違いはどこにある。
差などない。
同じ人間だ。
それとも私は、やはりお気楽主義なのだろうか。


歴史の渦の中に、飲み込まれてしまえば何も変わりがないけれど。
「こういう辛い運命の人もいたね」
そうやって片付けてしまうことが、どうしても狂っているようにしか思えなくて。
だけどどうしたらいいのか分からなくて。
飲み込まれたくない。
それは、私も他の人々も、同じこと。


タイの、少女売春に関する本を読んだ。
数ヶ月かかった。
途中で、辛くて読むのをやめてしまったからだ。
10歳にも満たないような少女が、ある日突然住んでいる地域から攫われて、強制的に性労働へ従事させられる。
解放しようと奮闘する人たちがいる。
しかしそれで生計を立てている人々は猛反発する。
それは私の住む「現実」とあまりにもかけ離れていて、別の世界の物語のようにさえ思えてしまう。
不謹慎ながら、そういう「現実」があるということに対し、実感がないというのが本音。


少女たちのことを思うと同時に、どうしてこういうことをしないと生きていけない人たちがいるのか、何がそうさせるのか、を考えてみる。
ただやめさせようとするだけでは、犠牲になる人が変わるだけで結局は何も変わらないのだろう。
奮闘する人たちの活動を読みながら、それでも悲観的に見てしまう。
もちろん、活動に意味がないだなんて決して思わない。
ただ、こういう仕事をしないと生きていけない人たちが世界の中にいて、それを買う人がいて、この社会の構造が変わらない限りは変わらないのだろうな、と。


いかにも優しい、いい父親として家族を支えているような人であっても、タイで少女を「買う」ことを正当とみなしている人がいるという。
しかもそれを愛だなんて称している。
私には理解できない。
だけど、買う人の中には日本人が多くいる。
日本人のためだけの通りまであるという。
この事実から目を背けてはいけない。


何を書きたいのかよく分からなくなってきたけれど。
渦の中に飲み込まれてしまえば皆一緒。
だからといって、それを望んでいる人なんていないはずだと信じたい。
ならばこの現実をどうにかするしかない。
私は、たくさんある「現実」のうち、どれに関わって生きていこうとしているのだろう。
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