Spilt Pieces
2003年04月25日(金)  「心から」
言葉が形骸化しているなあと思う。
示す意味に恥ずかしくないほどの行動をしている、と、誰が断言できるのだろう。
それができる人に投票したいと思うのだが、生憎よく分からない。
選挙に関する話だ。


私が住む地域で行われる選挙が27日にある。
それこそ毎日のように宣伝カーが家の前を走る。
朝も夜も関係ない。
公職選挙法に定められた時間の範囲内において、彼らは大声で名前を連呼する。
住宅街に住んでいるせいか、よく回ってくる。
家の前と後ろを、別々の候補者が走っていることも多い。
自分もウグイスのバイトをやっていたことがあるからあまり文句を言ってはいけないのだろうが、そんな言葉では慰められないほどイライラすることがある。
下手な宣伝カーだと、名前の連呼や「心よりお願い申し上げます」といった常套句の繰り返ししかしない。
「心より」の「心」って、誰の「心」なのだろう。


自分がバイトをしていたとき、名前以外のことを言っていいかと尋ねたことがある。
そのとき、世話をしてくれていた人が言ったこと。
「主張を言って意味があるのは、ある程度認知されている人だけ。知られていない人は、とにかく名前を言うしかない」
まずはこういう候補者がいるのですよ、と伝えなければ話が始まらないということだろうか。
まあ確かにもっともなことではあるのだろうけれど。
聞いているほうはたまったものじゃない。
私がバイトをしたのは隣の市だったのが、自分の市の選挙の際にも手伝ってほしいと言われたとき、すぐに断ってしまった。
ずるいとは思うが、実家の近くに敵を増やしたくないというのが本音だった。


宣伝カーに対して不満を持つ人も少なくないだろう。
このことについて考えたとき、インターネットで少しだけ調べたことがあるが、「子どもが寝ついた途端に宣伝カーが来て起こされた」「ただの騒音でしかない、主張をしろ」といった意見が多くあった。
しかし、法律で定められている以上、腹が立ってもそれを妨げることはできない。
「地域の皆様のために頑張ります」と言っている張本人が迷惑そのものなのだから、やめればいいのにと思う。
だがそれができるならとうの昔にやっているはずだ。
「宣伝カーがある」ということから、意味をもっと考えなければならない。
これはただの推測だが、候補者本人もあまり好んでやっていることではないように思う。
お金はかかるし、自ら乗る人ならば体力も使う。
かといってやめれば他の候補者に遅れをとるし、他に名前を売る手段がない。
逆の立場を考えれば、やむをえない選択なのではないだろうか。


自分も含めてのことだが、宣伝カーが嫌だと言いながら他の方法を用いて自ら情報を集めようとする人がどれほどいることだろう。
駅前で演説をしているのを横目に見てそのまま通り過ぎたり、選挙管理委員会が発行している候補者一覧を見て、出身校が一緒だなどという安易な理由で投票したりしていないか。
「誰がやっても同じ」
こういった諦観が蔓延してしまっているからか、「意見を話せ」と言いながらその「意見」を聞こうともしない人が多い。


私は、上っ面の言葉が大嫌いだ。
正直、「心から」にはもう辟易している。
しかし、自分もそうなのではないかと思うと、とても恥ずかしい。
「意見を、主張を言え」という言葉そのものが上っ面かもしれない。
こういうことを考えているためだろうか。
宣伝カーが家の前を通り過ぎるたび、不快になるのだ。
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