Spilt Pieces
2003年04月24日(木)  本
宮城谷昌光という作家が好きだ。
高校の頃彼の本を読み、単純ながら大学で中国史を専攻にしたいとまで思った。
彼の言葉遣いは、とても優しく愛情に溢れている気がする。
現代の日本に生きる私にとって、分からないことはとても多い。
祖霊に対する信仰の厚さや、天子が崩御した際の生贄といった事項は、どうにも理解できないのだ。
それでも、彼が描くのは歴史というよりもその中で生きた人々。
難解な漢字、文化、歴史に関係なく、惹かれる。


近頃、ずっと本から離れた生活を送ってきた。
「近頃」と言っても、ほんの数ヶ月ではなくて大学時代ほぼ全部といっていい。
どうしてか、活字に飢えることもなく私は、本を読むことをやめていた。
こんなに時間を自由に使えることは滅多にないだろうという大学時代、もったいないことをしたという思いはある。
ただ、私は、誰に強制されるでもない、自ら読みたいと思ったときが本を読む時期だと考えているし、たまたまそれがしばらく来なかったのだと思えばそれはそれでいいのかもしれない。
過ぎた時間を悔やんでも仕方がない。
それに大学では、本では学べない多くのことを学んだという実感もある。


今、何となく本を読みたいという欲求に駆られている。
その「何となく」が、きっと私には一番大切なこと。
そして何となく、一度読んだ彼の本をゆっくり読み直してみたり、まだ読んでいなかった本を読み始めたり。
高校の頃に受験勉強も放り投げて朝方まで読み耽っていたことがある。
平日だったので睡魔に襲われて、もうやめようと思いながらも同じことを繰り返した。
どうしようもなくなったとき、カバーを裏返して白くして、やっとのことで勉強に戻った気がする。
ふとそんなことを思い出しながら、改めて彼の本の魅力にとりつかれている今日この頃。


ところで彼の書く文章には、見たこともないような難しい漢字が用いられていることが多い。
一応ルビもあるが、数ページ進むともう分からなくなって前へ戻ってしまう。
最近平易な漢字を用いた文章ばかりに触れていたせいか、おもしろくもあるのだけれど。
それにしてもよくこんなにも多くのことを知っているものだと、読むたびに感心する。
そしてそれに独自の色をつけながら、人間味豊かに書き上げているところに彼の人柄が表れているのかもしれない。


今日は会社訪問のため、片道3時間電車に乗っていた。
就職試験用の本を読むのもつまらないので、今回は小説にしてみた。
あっという間の3時間。
駅についてから割と時間があったので、近くに公園を見つけてベンチで続きを読んだ。
読み終えて、とても穏やかな気分で会社に向かうことができたし、充実感があった。
やはり本は何となく読むのがいい。
その「何となく」で巡り合う本が良書なら、これほどの贅沢な時間はないのだろうな。
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