Spilt Pieces
2003年03月27日(木)  客観性
就職のことを書いていて思い出したことがあったのでもう一つ。
明日の分の日記先取り。
(…って、これじゃ明日書けないや…)


もう二ヶ月も前のことになるけれど、友人が受けたテレビ局の面接で、「報道の客観性についてどう思うか」と問われたらしい。
元々報道希望でなかった友人は言葉に詰まり、結果落ちてしまったという。


私がやりたいことは報道とは少し違うけれど、似ている部分もあるので、話を聞いてからしばらくそのことについて考えた。
正直、未だに明確な結論は出ていない。
同じところを受けたら、きっと一瞬で落ちるな。


まとまってはいないけれど、二ヶ月考えていれば少しは出るもの。
「そもそも、客観性なんてあるのか?」
だって人間が介在しているのだから。
主観の全くない報道などありえない。


あらゆる立場の人から見て公平な言葉など、どこにもない。
巷では小泉首相のアメリカびいきが小学校の頃にまで遡って検証されていたりもするけれど、「論理的に意見を言っている」とメディアから評されている他国の代表についても、その結論を出すに際し、世論ばかりではなく本人のこれまでの生育環境の影響も少なからず含まれているに違いないと思う。
そしてさらにそれを伝えようとして記者が発する言葉には、記者の生き様や経験、企業の利益といったものが絡んでくる。
何が客観か。


そこでさきほど挙げた、結論とは言い難い言葉が最終的な私の答えとなる。
「客観性など、元々どこにもない」
我ながら極端なことを言っているとは思うけれど。


同じ試験を受けたなら、私はきっとこう答えるだろう。
「何が客観かを模索しながら、形ないものへと歩む努力を諦めない姿勢」と。
抽象論だと批判を受けるかもしれない。
だが、少なくとも今の私の意見はこうなのだ。


人間が人間を描くのだから、むしろ主観が入っていいとさえ思う。
その主観が、社会的に見てどういう位置にあるのかを常に考え、間違っていると思えばすぐにでも修正できるような人物であればいいのではないか。
ある意味客観とは、主観を濾過して残ったものなのかもしれない。
もちろんこの場合、独善的で敵意あるような言葉を主観と指しているわけではない。
(ちなみに私の意見だと、孔子の言葉を引用して、記者の平均年齢が70歳以上になってしまうと言われかねない。だから、「修正できる人」と表現した。最初から完璧を求めるのは現実的ではないだろうし)


それにしても、こんなヘビーな質問を数分で考えろと言った面接官も人が悪い。
もちろん、普段から考えておけということなのだろうが、私の頭ではこれほど時間があってもこの程度しか言えない。
きちんと答えられた人は、よほど頭がいい、もしくは他者の意見に対して敏感なのだろうなと思う。
言葉にすると単純だけれど、深い。
今実際にマスコミ業界で働いている人に、答えを聞いてみたいものだ。
あくまでも、参考として。
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