Spilt Pieces
2002年12月16日(月)  思う
信じるものは救われる、というが、信じる対象を持たない人間は一体どうすればいいのだろう。
特定宗教に対する信仰心を持ち合わせていない私には、実際のところ信じるということの意味を理解することができていないのだと思う。
ただ、それを悲しむ必要はないのだと私は思う。
かつてとある人が言っていた。
宗教を切り離したり除いて考えた場合、どれほど人間を語ることができるというのか、そもそも世の中の人間のほとんどが必要としている宗教を持っていないという時点で、日本人というのはマイノリティーなのに、と。
分からないといって、争いの原因とされてしまうことがあるからといって、それを考えもせずに無用だと言ってしまえる人には、人間を語ることなどできない、という意味だろう。
だが、特定の宗教を持たないからといって、宗教性を持っていないということにはならない。
そして、特定の宗教を信仰していない分だけ、多くの宗教について考えることのできる可能性を持ちうるのだと。
偉そうなことを語るのは、未熟な私にはできないしやってはならないのだとは思う。
のんびりと日々を送ることができる、恵まれた人間の戯言に過ぎないのであろうし。
ただ、自分がいつか何かを信じたとして、そのときに、それまで信じていなかった分冷静な目も持つことのできる自分でありたいと思った。


なぜか、パスタを食べながら仲のよい友人たちとそんな話をしていた月曜の夜。
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