| Spilt Pieces |
| 2002年09月06日(金) レポート執筆中 |
| どうしてもやる気にならなくて放っておいた課題の〆切が明日(というか今日)に迫ったので、ようやく重い腰を上げた。 課題名は「総合的な学習の時間の学習指導案作成」。 つい最近導入されたばかりのこの時間。 何とも言えずに難しく、遅々として進まない。 今日は午後から大学だった。 まだ残暑の残る今の時期にフルで講義を行う先生は少なく、普段よりも早く切り上げられる場合が多い。 まだ頭が新学期モードになっていない学生としても、なかなかありがたいことだ。 お互い徐々に調子を上げていこうというような感じで利害が一致している。 放課後、マスコミ勉強会に出かけた。 自分の文章について他人の意見をもらうことというのは普段あまりないことなので、意見を聞くことができるのは怖くもあったが何より貴重であった。 今回のテーマは「偽装」で、私は原稿にどれほど主観を投じていいものか分からなかったのもあって、極力「私」という言葉を用いないようにしていたのだが、それが逆に「客観的すぎる」との指摘を受けることとなった。 いやはや難しいものだ。 話が前後するが、今日の講義において、カウンセラーに対してあまり肯定的ではない先生の言っていたことが印象的だった。 国公立中学校へのカウンセラーの常駐化に触れてのことだったが、政府はカウンセラーの導入にばかり焦点を置いて、本当に問題である部分を誤魔化そうとしている、と主張していた。 そもそも心を病む人が多いという状態を生み出している社会そのものを問い直さなくてはならないはずなのに、カウンセラーへ罹ることを勧めることによってそのことへの問題意識そのものを薄れさせているとのことだった。 すなわち、心を病んだらカウンセラーの元に行けばいいというような発想を植え付けることによって、社会に対して疑問を持つ人間が少なくなるのではないか、と危惧してのことであった。 私はカウンセラーについてそこまで極端に考えたことはないが、なるほど確かに、心を病む人が多いという現状を生み出している社会そのものに対して警鐘を鳴らす人というのはそこまで多くないようにも思う。 …ただ単に私が知らないだけなのかもしれないが。 一日に思うことは、一日分の日記では書ききれないとしばしば思う。 一貫したことを書ける日というのは、多くのことを忘れてしまった日であるとさえ思う。 どうでもいいけど、レポートの息抜きに書き始めたはずなのに、その調子で書いてしまって文章が妙に固いような気がする。 日記は進むのにレポートは進まない。 朝までに終わるだろうか。 体力的に徹夜が厳しくなってきた今日この頃。 |
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