Spilt Pieces
2002年09月05日(木)  ヒトリヨガリ
明らかに人を傷つける人は誰かに責められる。
そして責めても誰もがそれを正当だとみなす。
なぜなら最初に傷つけた人が悪いから。
簡単なこと。


人に優しい人が、優しくあることで責められることはあまりない。
そして大抵は責めた人がそのことを詰られるだろう。
「あんないい人に何を言っている」
「お前のことを思ってくれているのに」


私がタチ悪いと思うのは後者。
前者はただ不器用なのかもしれない。
器用な分だけ、後者に嫌気がさす。
どうしてか、毒として存在していない毒には、本人すら気がついていなかったりする。


優しさを非難できる人はなかなかいない。
だから、押し付けられてもそれはどうしようもないものとして受け止める。
本当は、押し付けによってその場に自分の世界を構築しているのかもしれないのに、それを誰も咎めようとはしない。
色んな人が犠牲になって、それでも誰も違和感を覚えながら文句を言えない。
本人は、その違和感を覚えられていることを感じると、「私はこんなに一生懸命なのにどうしてみんなは」と言って泣き始める。
だから周りは慰めるしかなくなる。


人に優しくして「あげる」ことで、優越感を感じているのか。
文句一つ言わないことで、自分は偉いのだと陶酔しているのか。
ごめん、フィーリングで分かるよそれくらい。
本当に優しい人は、そのことによって見返りを求めたりしない。
本当に優しい人は、全てを自分のせいにしたりはしない。
強がりなのか、本気なのか、見ていれば分かるから。


昔は、そういう感覚的に人を評価すること、口に出してしまったりしていた。
でも、奥底に隠れてしまった・隠してしまった感情まで感じ取っていない人には、私はいつも怒られてしまうから。
「あんなにいい人に向かって、なんてひどいことを言うの」
知らないの?
誰かに何かをしてあげることで、「私を責めて」の精神で、優越感感じているだけなのに。
…損だから、いつの間にか何も言わなくなった。
でも、だからってそういう気持ちが消えるわけじゃない。
嫌いで仕方がない、明らかに嫌な人よりずっと嫌。
ひとりよがりな優しさは、責めることさえできずにうっとおしいだけ。
「優しさ」の意味が難しい。




今日友達と話していたら、彼女は「人生終わったようなもんだ」と、笑って話し始めた。
生きるとか死ぬとか、難しすぎて考えてはやめている私としては、軽々しく言うことではないよな、と強く思った。
でも彼女が将来のことに悩んでいるのは事実だから、それをいちいち厳しく言うつもりなど全くない。
だからこう言った。
「なら、今からは駄目で元々の延長戦ってことじゃない?儲けにすぎない時間なんだから失敗しても怖くない、一回終わってるんだし」
彼女は笑った。
「ああ、そう考えれば確かに何でもできるかも。それにしても変なこと言うねえ」
まあ、変かもしれないな。
死んだつもりで、なんて、仰々しいこと言うの嫌だっただけなんだけど。




眠いのでもう寝ます。
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