2005年12月27日(火)  いいわけ 終、僕はこうして死んでいく。
 
彼女がベッドから降りてこない。部屋のベッドは下に大きな収納スペースがあるため、少し高めになっている。ベッドから降りずに今にも泣きだしそうな顔をしている彼女を見上げながら、僕は両手を広げる。いつもだったら彼女はベッドの上から僕の胸の中に飛び込んできて、僕は彼女を抱っこしてベッドから降ろす。僕は両手を広げる。彼女は首を強く振る。
 
「ここ降りるともう戻れないんでしょ……」
 
彼女は悲しみの表情を浮かべ、首を振りながら強くベッド柵を掴んでいる。もうベッドには戻れない、もうこの部屋には戻れない、このベッドを降りると、新しい何かが、強制的に始まってしまう。
 
料理もできない男だった。寝相も悪いし、イビキもうるさい。洗濯物はたたまないし、風呂場の掃除も滅多にしない。歳も離れているし、不精髭も生えている。原稿の締め切り前にはイライラしているし、夜勤明けの日はひどく疲れていてろくに話もしない。だけど僕たちは、趣味が、感じることが、笑顔のタイミングが、不思議なくらい一致していた。僕が気に入ったものは彼女が好きなもの。彼女が目を輝かせたものは僕が惹かれたもの。8つ離れた僕たちの恋愛に話を合わせようという努力は必要なかった。沈黙を恐怖することはなかった。ただ、そこにいるだけで、本当に、幸せだった。
 
僕は10年近く勤めていた鹿児島の病院を辞めて東京に出てきた。10年近く勤めていた病院の職員は皆家族のようで、毎日が本当に楽しかった。僕たちは歳を取るまでこの職場をずっと辞めずに、いつまでも仕事が始まる前に喫煙所で缶コーヒーを飲んで、昼休みにはじゃんけんをして弁当を買いに行くと思っていた。本当に幸せな日々だった。とても素晴らしい友に囲まれていた。
 
そんな職場を僕は捨てた。理由は後からいろいろつけたけど、本当の理由なんて何もない。不幸な境遇で育った者は、幸福を心から信じることができないのだ。虐待にあった女性が、再び虐待をするような男に惹かれてしまうように、不幸の中でしか、波乱の中でしか、僕は安定を見出せないのかもしれない。
 
好きな人ができた。果たしてその理由は、本当の発端だったのか。僕は、幸福に身を委ねることが、ただ不安だったのではないだろうか。「あなたはこういうことをずっと繰り返していくのよ」あの日彼女が言ったことは、こういうことだったのではないだろうか。
 
僕はベランダでタバコを吸う。彼女はベッド柵を掴んだまま、歯をくいしばって静かに涙を流す。
 
不幸を望む自分の幸福のために、幸福を望む愛する人を不幸に陥れる。数え上げたらきりがない。僕はこうして死んでいく。
 

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