2004年07月26日(月)  今日から狆です。
 
昨日の日記で少し書いたんだけど、当初この日記の一人称は「私」であって、それから現在の「僕」になって、最近は「俺」に変えたくなっているという問題。
 
生きるということは必然的に何らかの悩みや問題を抱えているということであって、この日記を読んでいる人達も何らかの悩みや問題を抱えているのは明白であって、僕が一人称を「俺」に変えたいという問題なんてどうでもいいのかもしれないが、本当は僕だってどうでもいい問題であるのだけど、
 
例えば「俺じゃねーよ」と書きたかった場合、「俺じゃねーよ」は「俺じゃねーよ」であって、それ以上でもそれ以下でもない。しかしこの日記は一人称が「僕」である以上、「俺じゃねーよ」のところを「僕じゃねーよ」と書かねばならず、「俺じゃねーよ」という強い否定が感じられる文章も、「僕じゃねーよ」と書くことによって、その否定が弱くなるというか、「いや僕かもしれない」「ホントは僕です」というネガティブな感じまでしてくるわけでどうもいけない。「僕じゃねーよ」はそれ以上はないかもしれないけど、なんだかそれ以下があるような気がする。
 
しかし一人称を「俺」で統一した場合、実生活とのギャップが生じてくる。例えば僕は実生活での一人称も「僕」であって、物事は「僕ベース」で比較的穏やかに経過しているのだけど、これを「俺」としたら、なんだか波瀾万丈のスパイスが加わりそうで、敵とか増えそうで、なんだか怖い。だから僕。僕は僕。僕は僕と呼んでいるから平穏に過ごしているのです。だから、あんまり文句とか言わないで。俺じゃないんだから。僕なんだから。
 
と、そういう理由があって、意図的に僕と呼んでいるんだけど、頭の中で考えを巡らしている場合は「俺」で考えていて、「俺だったらこうするよなー」とか考えつつ言葉では「僕だったらこうしますよ」と変換させているのであって、これを日記に変換させる場合、頭の中では「俺」と考えつつ、一回「僕」に変換して、日記を書く際に「俺」に再変換させつつも表記は「僕」という、書いてる僕でさえ俺でさえ頭がおかしくなりそうなことを考えているのであって、あ、そうだ、いいこと考えた。
 
「僕」とか「俺」とかに固執するからいけないんだ。他の言葉を使えばいいじゃないか。この日記だけで通用する一人称を。便宜的に。と、考えた僕は俺は。狆。明日から一人称を狆にします。狆は「ちん」と読みます。狆は今日スーパーに買い物に出掛けた。いいね。なんだかしっくりくるね。と、狆は思った。
 

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