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| 2004年01月24日(土) 抑制のジレンマ。 |
| 抑制。看護をする上で必要不可欠なこの行為。 痴呆の患者が徘徊しないように、車椅子やベッドに胴や四肢を縛る。転倒、転落しないようにベッドに胴や四肢を縛る。点滴・中心静脈栄養・経管栄養等のチューブを抜かないように上(下)肢を縛る 。 医療現場ではこのような非人道的な行為が「やむをえない」といる理由で未だあらゆる病院で日常茶飯事に行われている。 僕が働いている病院でも、勿論行われている。 僕は精神的に重症、且つ高齢者の病室を受け持つことが多いので、毎日その問題と格闘しなければいけない。 例えば、徘徊をする高齢者。もし転倒すれば大腿骨頚部骨折などの重症を負う場合がある。だからといって患者を抑制したら問題は解決されるのか。患者は怪我を負わない代わりに胴や四肢を抑制帯で縛られる。患者の自由を尊重すれば怪我の恐れ、医療事故の防止に努めるならば抑制。そのジレンマとの葛藤が毎日続く。 僕は抑制をしない。夜勤の人から、佐藤さんは胴抑制のまま経過していますと朝の申し送りで受けた場合、僕は申し送りが終わってからすぐ佐藤さんの元へ行き、抑制を外す。勤務帯が代わり、部屋の受け持ち看護師が僕へと移行した瞬間から、その患者さんの責任は僕が請け負うことになる。 転倒しようと、大怪我をしようと全て僕が責任を負うことになる。 それでも僕は抑制を外す。患者さんの自由を尊重する。リスクはとても大きいけど、患者さんの行動を密に観察すれば事故は未然に防止できる。僕は今までずっと看護に必要な観察力を自分なりに学んできたつもりだ。 もし、転倒やベットから転落した場合、インシデントレポートという医療事故報告書を書かなければいけない。僕は職場でこのレポートを書く回数が一番多い。少なくするにはどうすればいいか。抑制すればいい。だから、このレポートを恐れるがあまり、皆看護に消極的になる。患者の自由と自らの自尊心、どちらを優先するか。 僕は自分の看護の質を哲学を責められてもいい。いくらレポートの枚数を重ねてもいい。僕は患者さんの自由を優先する。抑制帯を外したときの笑顔を見るために。 僕は職場でいつも気が張り詰めている。一秒だって気が抜けない。気を抜くと事故を招く。気を抜いた瞬間にベッド柵が倒れ、廊下で鈍い音がする。僕は顔を真っ青にして患者さんの元へ駆け寄る。事故の理由を分析し、自分を責める。 毎日、仕事が終わるたびに事故がなかったことに大きく胸を撫で下ろす。僕は毎朝、受け持ちの病室に行って患者さんと指切りをする。勝手に歩き回らない。勝手にベッド柵を取らない。約束ね。指きりげんまん。 道具で抑制しない代わりに、言葉で行動を抑制する。結果的には同じことなのかもしれないが、言葉はそれ以上の重要な意味を持っている。その約束によって、その会話を繰り返すことによって、患者さんと僕との深い場所で繋がることができるようになる。 僕はその信頼関係を大切にしている。患者さんの全てを理解すれば、医療事故は防げるはずだ。道具で抑制するなんて、子供にだってできるよ。人を看護するということは、知識でも技術でもない特別な何かが必要なんだってことを、これからも、毎朝タイムカードを押すたびに考えていきたいと思う。 |
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