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| 2003年12月29日(月) むら気。 |
| 今手元に高橋健二という人物が翻訳した『ゲーテ格言集』という200ページほどの本がある。なぜ手元に格言集などあるのか。それはわからない。だいたい僕の部屋にはいつ、いかなる理由でこういうものを買ったのだろうという本がありすぎる。おそらくこの本も酔った時か人生に疲れた時に買ったのだろう。 「愛と女性について」という項目を開き、数多く並べられた格言の一つを読んで僕は目を大きく輝かせる。 「どんなことが真理とか寓話とか言って、数千巻の本に現れて来ようと、愛がくさびの役をしなかったら、それは皆バベルの塔に過ぎない。(「温順なクセーニエン」第三集から)」 まるで意味がわからない。3度くらい読み返してみたけど、謎は深まるばかり。とにかく愛が存在しなかったら、何も意味がないというようなことなのだろうか。 「恋愛と情熱とは消え去ることがあっても、好意は永久に勝利を告げるだろう。(「温順なクセーニエン」第三集から)」 なんだかなぁ。と思わせる。永遠に勝利を告げることはいいことなんだろうけど、それが好意だなんて。そんなものを永遠に勝利を告げなくてもいいと思う。僕はしずかちゃんが好きなんだ。イエイ。そしてこれからも! と声を大にして叫んだところで何が得られるのだろう。そんな無意味な勝利であれば、いずれ消え去る恋愛と情熱に身を焦がした方がどれだけ人間らしいことか。 「見上げた男! 彼を私はよく知っている。彼はまず妻を殴っておいて、妻の髪をすいてやる。(「格言集」から)」 とんでもない男である。まさに見上げた男である。そりゃビックリマークもつけたくなるだろう。恋愛にもアメとムチが必要であるということが言いたいのだろうが、殴ってから髪をすくというドメスティックでバイオレンスな行為は決して現代の時代の潮流には乗れないであろう。現代人が納得するように上記の格言を翻訳します。 「見上げた男! 彼を私はよく知っている。彼はまず待ち合わせに遅れておいて、大きなプレゼントを抱えてやってくる」 どうですか。現代の男性の弱さが滲み出てるでしょう。だいたい現代の恋愛にアメとムチなんて使ってたら、ふられるに決まってる。現代の女性は忍耐力が欠如して好奇心だけは旺盛だからすぐ他の男に走ってしまうのだ。だから現代の男性はアメとムチなど使い分けずに、アメとガム。そしてケーキ、寝る前に菓子パン。と、もうこれでもかと甘いものばかりで責めるべきである。 いずれ女性は愛の糖尿病となって、それが醒めたときにはもう遅い。糖尿病は身体の中から知らぬ間に蝕んでいて、次の恋愛に移行するときはもっと甘い物じゃないとダメになるのである。悪いのは男である。でも女はもっと悪いのである。 「ひとりの人を愛する心は、どんな人をも憎むことができません。(「恋人のむら気」第五景)」 格言のいわんとすべきことはわかる。しかしここで着目したいのは、この格言を引用した「恋人のむら気」という作品である。いったいこれは何と読むのだろうか。むらき、じゃないような気もするが、むらげ、だと何かマヌケのような感じがする。しかしおそらく「こいびとのむらげ」と読むのだろう。なんだか恥ずかしいね。 むら気とは、女心と秋の空のような、むらがある気持ちという意味なんだろうか。むらげ。 「恋愛を醒めさせる要因には鼻毛、胸毛、わき毛という微少なる問題が発端となる場合が多い。これらのことをむら気という」 なんてね。 |
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