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| 2003年11月16日(日) 死体に触れた手で。 |
| 明日は早く起きようね起きようねといつもの問答の末眠りに落ちて目覚めると午前10時半。「僕は先に起きてたんだ」「私の方が先に起きたわよ」「僕はキミを起こしたけれど起きなかったんだ」「あなた私が起こしたら文句言ったじゃない」といつもの問答を始める休日の朝。今日は東京国際フォーラムで開催されている『人体の不思議展』に行ってきました。 展示されている人体は全て本物。かつて生きていた人たちばかり。しかもかなりリアル。プラストミック人体標本というものらしく、匂いもなく、手で触っても汚れる事なく、また弾力性に富み、じかに触れて観察でき、常温で半永久的に保存できる画期的な人体標本。 かつて生きていた人間が皮膚を剥がされ筋肉を露わにされたり、筋肉までもぎ取られ骨格だけになっていたり、内蔵をすっぽり抜かれていたり、縦に横に斜めに切断されていたり、いくらこの人たちの生前からの意志に基づく献体によって提供されたとしても、こんな扱いされるとは思っていなかっただろうな。 しかし不思議なことにこの人体標本、本当にリアルなのだがなぜか恐怖を感じない。なぜか。様々な標本を眺めながらずっと考えていた。皮膚を剥がされ頭部を切断されたこの人体標本は表情がなくひどく無機質な感じがするのだ。そこで僕は気付いた。 この死体にはストーリーがないのだ。ガラスケースに閉じ込められた死体に背景を感じないのだ。 例えばこの人体標本がマンションの階段の踊り場に転がっていたとする。怖い。なぜここで死んでるんだ。何があったんだ。殺されたのだろうか。いつ殺されたのだろうか。ほら。死体を見ていない。死体を見た人はその場で様々な思いを巡らすだろう。死体を見た人は実は物語を見ているのだ。 恐怖は対象そのものに感じるのではなく、その後ろに存在するものに感じるのだ。 会場の最後に「生の標本に触れてみよう」というとんでもないコーナーがあったが、見学者は躊躇せずペタペタとその死体の露わになった脳に骨に腸に肉に触れていた。そこに恐怖は微塵も存在しなかった。 「次どこ行く?」 「丸ビル近いから行ってみましょ」 会場を出たあと手を繋いで彼女と丸ビルに買い物に行った。 死体に触れた手で。 |
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