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| 2003年10月20日(月) 性交渉の真実。 |
| 僕はセックスが嫌いです。気付けば27歳。今まで何人と関係を持ったか思い出すこともできないですが、それだけ印象的なセックスというものが記憶に残っていないのです。最近は何もかも基本に帰って自分を見直すことが多いですが、セックスについての見解を、今日は書きます。 何の延長線上にセックスは存在するのか。例えばそれは二人の愛の確認作業なのか、動物的本能に憑き動かされた行為なのか、それとも、恋愛の「おまけ」なのか。 僕はこの人とセックスしたいなぁと思ったことがありません。セックスするんだろうなぁとは考えることがあります。それが当たるにしろ外れるにしろ大したことではありません。しなければしないでいいし、シャワーに入ってる間、煙草を吸いながらテレビを見ることになっても大した気持ちの高揚もありません。 これは誰かに質問したくて、馬鹿にされそうでずっと黙ってきた質問なんですけど、この日記を読んでいる皆さんに質問します。 セックスに個性を感じますか? 付随するものは全て省いて、セックスという行為のみに焦点を絞り、セックスの個性を考えてみてください。前にセックスした相手と今、上に乗っている相手、その二人は何が違いますか。声が違う、身体の線が違う、感じる場所が違う、髪型が違う、優しさが違う。他は? セックスは、何か画一的なものを感じませんか。単調で退屈でただただ疲労するばかりの無益な交渉。僕はセックスの最中に、深く考え込んでしまうことがあります。この人は、誰だ。って。うまく言えないけど、この人は、誰だ。って。声や身体の線など多少の差異はあれ、相手は女性。どこかで聞いたことのある声、どこかで触れたことのある乳房、どこかで見たことのある悶え方。僕はもうずっと前から同じ女性とセックスしているような感覚に襲われます。 セックスの最中に相手が抽象化されるのです。あんなに楽しかったデートも、夕食の会話も、一緒に撮った写真も、ベッドに入った途端、台無しになるんです。また始まるという杞憂。その女性が、抽象化された女性に変貌するのです。またこの人だ。って思うのです。この人以外に誰かいるかもしれないと思って、もう何年間も何度も何度もいろんな女性とセックスをしてきたけれど、皆、同じ人なんです。 多分、愛のあるセックスなんて存在しないと思います。愛は、もっと別の場所にあるような気がします。決してベッドの上には存在しない。愛があってもなくても、セックスという行為自体には大して重要な問題ではないのです。 あぁ、多分こういうのって確実に間違えている考察だと思うけど、現在の僕にはこういう答えにしか導くことができないのです。 |
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