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| 2003年08月07日(木) 愛は本能? |
| 愛は本能ではない学習するものです。本能ではない。場数を踏んでなんぼのものである。愛するということは画一的なものではなく実に多様でありまして、僕のように「ねぇ、私のどこが好きなの?」と問われた場合、いつも答えに窮してしまうけれど、それでも彼女を愛しているのです。うまく説明できないけどね。だから「私のことが好きなんじゃなくて、女の子を好きになるってことが好きなんでしょ」なんてこと言わないで下さい。ショックです。心外です。心的外傷です。その後に、それがストレスとなって昔の彼女の泣き顔などがフラッシュバックする障害が出てくるのです。いわゆる心的外傷後ストレス障害。英訳しますとポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー。そうですPTSDです。 さて! 学習するものです。自然に備わっているものではございません。親の愛、隣人の愛、環境の愛、その他諸々。それらが集約されて、己の愛というものが構築されるのです。だから僕に彼女ができてもせいぜい2,3ヶ月しか続かないのは、どこかの愛に欠陥があったのではないかと思うことによって自己への負担を避け、外的要因の所為にすることができるのです。いぇいぇ。 世知辛い浮世の道を病むことなく歩いていくためには、まず自分を守ること。あらゆる手段や思考を用いて自己防衛すること。これに尽きます。 「あなた私のこと愛していないんでしょ!」 「いや、愛してるはずなんだけど、いかんせん僕をとりまく環境がね」 暖簾に腕押し柳に風。豚に真珠に釈迦に説法。えっと、河童の川流れ。猿も筆の謝り。は? ぁあ? 座っている椅子が硬いので尻が痛い。頗る血流が悪い。この状況が続くと痔になってしまう。痔になってしまうと多分愛とか恋とか語る資格がなくなってしまうような気なんて全然しない。多分痔に病んでしまっても僕は愛とは云々! なんて叫んでいるだろう。 愛とは本能ではない。学習するものである。だからどんな形であれ、人に恋をすることは悪いことではない。いかなる状況であれ、そこにしか存在しない教訓があり哲学がある。絶対ある。どんな結果であれ、何か今後の糧になる。成就しても玉砕しても、結果とは別に得られるものは何かある。結果じゃない過程なんだ! わー! わーわー! もうほんとに尻が痛い。書きたいことの1割も書いていない。尻が痛くなければ3割は書けた。椅子とベッドと羊の肉は柔らかい方がいい。もちろんオッパイも柔らかいに越したことないけど、僕は別にオッパイに恋をするわけではないので最重要事項ではない。職場の僕の前のデスクに座っている女性は「私のオッパイすっごい柔らかいんだから」と昼休みにサンドイッチのレタスを飛ばしながら言っていたので「じゃあ触らせてよ」と言ったら「うん今度訴える」なんて言われてしまった。くだらないけれど、そこにも哲学は存在するのです。 |
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