2003年07月26日(土)  醍醐味。
勤務終了前、僕の前に座っていた男性2人が主任に呼ばれたきり10分程姿を消した。肩を落として帰ってきた。僕の隣に座っていた女性が仕事を中断し好奇心に溢れた口調で話し掛ける。「どうしたの?」
 
「戦力外通告だよ」
 
「え?」女性が素っ頓狂な声を挙げる。周囲のデスクの人たちが訝しそうに彼女を見る。オフィスには絶え間なく電話が鳴り続け、具体的に何の仕事をしているのかわからない人たちが右往左往している。勤務終了前、僕は今夜の晩飯と今後の人生の方向性について考えていた。
 
「来月から来なくていいってさ」
 
僕はお得意様への宛名書きをしていたペンを止めてようやく彼等の方へ顔を上げる。悲しいような呆れたような怒っているような顔をしていた。1人は既にネクタイを弛め、放課後の補習が終わった中学生のように静かにバッグに書類を入れて帰る準備をしていた。
 
「どういうこと?」
 
彼女はどういうことか理解しているくせに確定的な予想を確信に変えようとしている。女性の怖さはこういうところに隠れている。美味しいものは骨の髄まで味わおうとする。彼等は何も言わずただ弱々しく笑っただけでオフィスを後にした。彼等が消えてから彼女は椅子に座ったままキャスターを転がしながら僕の方へ寄ってきて「クビだってさ!」と小声とも大声とも取れない声で話し掛けてきた。
 
「次は僕の番かもしれないね」
 
と僕はおどけてみせた。「そうかもしれないわね」なんて彼女も笑っているけど、次は多分キミの番だよ。キミは無駄が多すぎる。そのリストの整理、一体何時間掛けて作業しているんだ。
 
この会社に戦力外通告という制度があることは知っていた。給料を日給に換算して、自分の粗利が日給に満たない日が数日続くと突然上司に呼ばれるのだ。そして殺風景な物置のような部屋で来月から来なくていいと宣告される。今のところ、僕は大丈夫だ。勤務当初に上げた脅威的な契約量の貯金がまだ残っている。今はそれを浪費し続ける毎日。今日も契約が1件しか取れなかった。まだ、大丈夫。大きな契約を1つ取れば3日は生き延びていける。
 
彼等は帰りのエレベーターの中で何を考えるのだろうか。いつまで経ってもすっきりしない空を見上げながら何を想うのだろうか。
 
僕のこの会社の契約は3ヶ月。畑違いのこの職場で、いつまで生き残れるか、自分がどこまで通用するか。人生の醍醐味はまだまだ続く。

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