![]()
| 2003年04月25日(金) 本当の別れ。 |
| 正真正銘最後の送別会。8年前、看護学校に入学して、委託病院として働き始めた頃はまだ19歳で、患者さんとの接し方も、専門用語も、看護婦さんたちの名前さえなかなか覚えられず、ただただ狼狽するばかりで、1日中緊張していて僕にとってはそれが最初の「社会」との出会いで、それから8年間、僕はずっとその「社会」の中だけで生きてきた。 世の中は失業だ不況だというけれど、ここにいれば毎月給料は出るし、それなりに仕事は評価してもらえるし、看護婦さんたちは多少乱暴だけど、首を締められても乳が当たるというような優しさがこもっていて、数年前に主任に昇格して驚くほどに仕事が増えたけれど、それでも遣り甲斐があって、毎日充実していて、苦悩といえば、僕に彼女ができないことくらいで、そもそもその苦悩は僕自身に関する問題であって、仕事とは関係がなく、仕事での苦悩といえば、僕が夜勤の日の職員の朝食はいつもミルクパンで、他の人の夜勤の朝食はクリームパンとかジャムパンとか、看護婦さんたちは美味しそうに頬張っているんだけど、僕の朝食だけミルクパンで、無機質な味がして、クリームとかジャムとか、そういうものは入っておらず、いつまで経ってもミルクの味のみで、気が滅入ってしまうのは、きっと栄養士の陰謀だ。と思っていることぐらいで この栄養士。去年の夏。30までにお互い独身だったら結婚しようと約束したばかりなのに、その年の秋には入籍してしまい、現在妊娠7ヶ月。送別会の席で、栄養士の元へ赴き「そのお腹の子は、あのときの、子では、ないのか」と酔いに任せて訊ねると「そうかも、しれないわね」などと尋常な口調で申すので、酔いも醒めてしまい「まぁ、元気な赤ちゃんを産んでください」と強引に話をまとめて、そそくさと自分のテーブルへ戻り、栄養士はまだこちらを見ているけど、目を合わさぬように努めて「わぁ。看護婦さん。最後だから、ダンスを躍りましょう」と、仕事中は少し怖いけど、飲むと陽気になる看護婦さんと、なぜか舞台の上でチークダンスを躍って、その後、他の看護婦さんと「2人の大阪」をデュエットして、その後も、「酒や、酒や、酒持って来い!」と恥かしいセリフが入る演歌を歌って、それから先は涙をこらえるばかりで空のグラスを掲げ、後輩を呼びビールを注がせて、後輩にも勺をして「乾杯」という代わりに「サヨナラ」と言うと、「マジでヘコみますから!」と叫んで泣き出して「あっ! そうだ!」とポケットを探り出し「これ、使って下さい」と小さな包みを出して、赤いリボンと包装を解いてみると「大和魂」と大々的に記されたジッポライター。後輩のこの気持ちとこのセンス。一生大切にしていこうと思う。 思い出話を始めるときりがない。宴もたけなわにさしかかり、舞台へ。婦長さんが大きな花束を僕に渡す。「いつか、帰ってくることを信じています」僕は涙が止まらず、この病院で最後の舞台なのに、ずっとうつむいて心細くうなずくばかりで、自分の意思で、自分で辞めると言ったはずなのに、院長も婦長も看護婦さんも看護士さんも、先輩も後輩も、親も妹も、友人も、みんな悲しませてばかりで、何一ついいこともないじゃないか。どだい、僕自身だって、これから先、今以上の環境が待っているわけではなく、良いことがあるわけでもなく、試練のようなものばかりで、このまま明日になっても明後日になっても10年経っても今の職場で、今のアパートで、看護婦さんたちと笑ったり、患者さんの背中を流したり、友人と退屈なビデオを見たりしていたい。 何もかもを犠牲にして、自分のやりたいことをやるという行為は、不毛なんじゃないか。僕は決定的な何かを間違えてるんじゃないだろうか。誰の為の僕で、僕は誰の為? 人は何の為に生きて、生きる為に何をする? 離別して、新しい何かと出会って、また離別して、それは何を意味してる? 生きることとは、そういうものなのか。「社会」ってそういうもの? 結局1人で消化していかないといけないもの? 新しい生活の場で出会う人たちも、自分を差し置いて大切にしていきたいと思う。 |
| 翌日 / 目次 / 先日 |