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| 2003年04月16日(水) 交換条件。 |
| 知的障害、といっても、病院に入院、もしくは施設に入所している知的障害者は、たいてい僕たちより年上なんだから、尊厳を持った態度で接しなければいけない。これは当然のことだろうけど、当然という意味は一般論的な意味合いが強くて、果たして一般論が日常の行動に定着しているかと言われれば、そうでもなく、もっと障害者に対して、その障害を共感し、受容し、障害者の立場で物事を考えなければいけないと思っている。 病棟に他の入院患者とトラブルばかり起こす知的障害者の男性。僕は今月始めに病棟へ異動となり、まずこの患者についての対応を考えた。どうすればトラブルが減るのだろうか。トラブルの内容といえば、もっぱら喧嘩で、意思表示が上手にできないというハンディキャップと不平不満をすぐ暴力によって表現するという粗暴さ。このポイントを押さえ、看護計画を立案する。 「僕に任せてください」 僕はいつもこんな言葉を使って自分を追い込む。切羽詰まってからでないと、真剣にならないという、8月30日の小学生の夏休みの宿題タイプ。「あなた自分から任せて下さいって言ったんだから責任取って看護にあたりなさいよ」という婦長の言葉を心地よいプレッシャーと感じ、患者と面談。ラポール(信頼関係)の形成は接触の頻度と時間。何気ない挨拶。くだらない雑談。これが重要になる。 この患者は、新しいラジカセを欲しがっていた。ラジカセを自分のものにしたいという「欲求」。しかしすぐには手に入らないという「忍耐」。これを利用しようと思った。今まで試したことのない看護をしてみようと思った。 「1ヶ月後にラジカセを買いましょう」 「ホント!?」 「だけど条件が1つ。これから1ヶ月、他の患者さんと1度も喧嘩をしたらいけません。そこのカレンダーに喧嘩をしなかった日は○を付けていきましょう。で、喧嘩をしたら×。喧嘩をしたらまた1ヶ月後伸びてしまいます。どう? 守れそう?」 「守れる!」 「じゃあ今からスタート。その日の○は夜寝る前につけるようにしましょう」 そして4月1日から、患者の欲求と忍耐の葛藤の日々が始まった。僕はこの看護計画で1つの禁忌を侵していることになる。知的障害者の看護の場合、「〜だったら〜してあげる」という交換条件を提示してはいけない。今回の場合は「喧嘩をしなかったら、ラジカセを買ってあげる」ということ。しかし今回は敢えてこの禁忌を侵した。繰り返される欲求を抑制するという「学習」を習得するには、この方法が一番効果的だと思った。 カレンダーに○が埋まっていく。僕の計画は滞りなく進んでいた。4月5日、喧嘩。カレンダーに×印。 「これからまた1ヶ月頑張ればいいんだよ」 「うぅ……」 何もストレートで30個○が記されるとは最初から考えていない。計画中途でのトラブル。これも「学習」の一貫なのだ。決して患者を責めずに、次の目標を明確に立てる。反省というのは、患者自身が自らの意思で考えなければ意味がない。だから僕からは反省を促さない。 朝出勤してナースステーションに入ろうとしたとき毎朝 「今日はケンカしなかったよ!」 と満面の笑みで僕に話し掛けてくる。 「違うよ。今日「は」じゃないよ。まだ1日始まったばかりだ。今日も頑張りましょう」 「うんっ!」 やはり満面の笑みで答える。 4月16日。カレンダーには5日に×がついて、それから○が11個続いている。この調子でいけば5月5日に目的は達成する。5月11日には僕はもうこの職場にいないけど、彼はきっとやってくれると信じている。あの満面の笑みで新品のラジカセを抱きかかえる日がくることを信じている。 5月5日は、彼の「子供の日」にならないことを信じている。 |
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