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| 2003年04月09日(水) 父と夜と繁華街、ミッチャンと耳掻きと僕。 |
| まだ小学校低学年の頃、父は看護婦の母が夜勤のとき妹2人を実家に預けて、僕をよくスナックに連れて行った。料理人だった父は、夕食を自分で拵え、夕方6時くらいに食卓に並べる。そして夕食を食べる兄妹3人をよそにスーツに着替え始める。あ、今日はお姉ちゃんのところに行くんだ。幼いながらも、父の行動を見て予測し、夕食を早めに食べて宿題が残っていないかを確かめる。 父は元来無口な人だった。10年くらい前に離婚したときも、いつの間にか僕の目の前から姿を消していた。最後の別れの言葉さえ覚えていない。「元気でな」とか「頑張れよ」という味気ない言葉だったのかもしれない。そんな無口な父は、母が夜勤の日には決まって小学生の僕を黙って日産サニーに乗せて、夜の繁華街へと向かった。 薄汚い有料駐車場に車を停め、父と手を繋ぐ。今とは違ってこの繁華街も昔は本当に賑やかだった。いろんな人がいた。いろんな人が父に声を掛けてきた。父は背が高く彫りが深い顔立ちで、生来の性質である無口という要素が加えられて、なかなか味のある大人を演出していた。そして、おまけに料理だって得意という付加価値をぶらさげて夜の繁華街を歩いていた。僕はその繁華街がとても怖くて、夜ともなるとこの繁華街に子供の姿は消え、見渡す限り大人ばかり。ひどく酔っていたりすごく怒っていたり時には道路の真ん中でしゃがみ込んで泣いている女の人だっていた。ここは確実に公民館の横の公園とは雰囲気が違った。ブランコの代わりにネオンがあって、すべり台の代わりにスナックへと続く急な階段があった。 「いらっしゃ〜い」 という声と共に父と僕を迎え入れる真っ赤なドレスを着たオバケ。僕はこの赤いオバケも嫌いだった。お母さんは夜勤なのに、父はオバケのことを「ママ」と呼んだ。僕は初めてこの店に来たとき、この赤いオバケが本当のお母さんかと思い、トイレに閉じ篭って声を殺して1人で泣いた。 「ね〜ぇ、なんでお父さんオバちゃんのことママって言うの?」 ブランデーを噴き出した父の代わりにママが 「どうしてって、私がマー坊の本当のママだからよ」 とドレスに負けないくらい赤い唇を動かして言うので僕はまたトイレに閉じ篭って1人で嗚咽した。 それなりに楽しいこともあった。父によく連れてこられたこのスナックには「ママ」と呼ばれる赤いオバケと、いつも大声で笑う太った「トシエさん」という人と、短いスカートばかり着ていていつも僕にパンツを見せる「エリ」というお姉さんと、いつも僕に耳掻きをしてくれる「ミッチャン」というお姉さんがいた。僕はこのミッチャンが好きになった。 「マー坊は大きくなったらこのお姉ちゃんたちの誰と結婚するー?」 トシエさんがいつもとかわらぬ大きな声で、質問しただけなのに大笑いしている。 「ミッチャン」 「えー。私じゃダメなのー?」 「エリはエッチだから嫌だ」 「ひどーい!」 店内に大きな笑い声が響く。父は黙って酒を飲んでいる。この頃は、僕のここで演ずるべき役柄というものを理解していた。父に話し掛けずにこの女の人たちとお喋りをしていたらいいということを。 ミッチャンはいつも店の隅のソファーで耳掻きをしてくれた。耳掻きをしながらいろんな話をしてくれた。ミッチャンの膝の上でそのまま眠ってしまうこともあった。いつも「人からお金を借りちゃダメよ」というようなことを言っていた。一度、ミッチャンから靴をプレゼントしてもらって「お母さんにはお父さんから買ってもらったって言うんだよ」と父から口止めされたこともあった。僕は今でも人からプレゼントされることはあっても、お金を借りることはない。 そしてミッチャンは突然この店から姿を消した。その日僕は久し振りにスナックのトイレに閉じ篭って静かに泣いた。もうここで泣くことはないと思っていたけど涙がいっぱい出た。可哀想に思ったのか、その日はエリが耳掻きをしてくれたけど、パンツの話ばっかりするので全然気持ちよくなかった。 「マー君はの私たちの中で誰と結婚したいー?」 トシエさんのような女性が大きな声で、質問しただけなのに大笑いしている。 「ミッチャン」 「ミッチャンって誰よー! 私じゃダメなのー?」 「ルミはエッチだから嫌だ」 「ひどーい!」 あれから20年くらい経って、父もいなくなり、自分の意志でこのスナックに行くようになって、いつまで経っても僕は、ミッチャンが出勤する日を待っている。 |
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