2003年03月25日(火)  ムダ毛処理。
私は毎晩何かに憑かれたかのように、そう、何かに吊られたかのように腕を挙げてムダ毛を処理する。「毎日なんて異常でしょー」なんて梨香は驚いて「そうだよねーそれっておかしいよねー」と私は同意を装うけど、それは表面的な装いで、相手の言葉に同意する。という会話のルールを保たせているに過ぎない。私の気持ちなんて誰も理解することができない。ずっとそう思っていたし、これからも永遠にこの気持ちは変わらないような気がする。私は、今夜も、強迫的に、何かを宣言するような格好で、ムダ毛を処理する。
 
―――
 
ムダ毛処理の話を始めたのは隆一からだった。あの日は水曜日で、平日に休日が多い私と、週末しか休みが取れない隆一が、珍しく平日の昼間から私の部屋のベッドで一緒に寝転がっていたときだった。私は退屈な午後のワイドショーを見ながら代官山マダムだのファッションチェックを漠然と眺めていて、隆一はやはり退屈そうにベッドから手を伸ばせる距離にあった「JJ」を口を半開きにしたままページをめくっていた。
 
「うーん。女って大変だよねぇ」
「ん? うん。ゴメンね。せっかくゆっくりできる日だったのにね」
「違うよ。そんなんじゃないよ」
 
彼氏と一緒に過ごせて舞上がってしまう夜ほど、皮肉にも手元にあるのはコンドームじゃなくて、ウィスパーだったりする。
 
「違うの? ふふ。まぁ生理も大変なんだけどね」
「そりゃ大変でしょ。同情するよ。だけど女は男に比べて大変なことが多すぎる」
「えー。例えば?」
「これ、この記事」
 
隆一は顎で「JJ」の記事を指した。『全部解決! 失敗しないムダ毛処理!』
 
「女は毛を剃らなきゃいけないって誰が決めたんだろうね」
私は中学校の頃から、そう、ムダ毛に関して悩み始めた頃から毎日考えていた疑問を呟いた。誰が決めたんだろう。
 
「そりゃお前、男だよ」
「うーん。やっぱりそうなのかなぁ。神様じゃないのかなぁ」
「ははっ。バカだなぁ。女のワキ毛を気にする神様なんてなんだか心細いじゃないか」
「そりゃそうだよね」
「そうだよ。男が決めたにきまってるよ。哺乳類1心の狭い動物は人間のオスなんだ」
「ふふ」
「毛が生えてるだけで交尾どころじゃなくなるんだ」
「ワハハッ」
 
―――
 
狭いユニットバスの湯気でぼやけた薄暗い灯りの中、胸の辺りにシャワー当てながら、ぼんやりと隆一のことを思い出す。哺乳類1心の狭い動物を思い出す。
  
―――
 
「いや、別に、そういうわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ何なのよ! はっきり言ってくれないとわかんないじゃない!」
「いや、ゴメン。本当に、僕が悪いんだ。僕だけが、悪いんだ……」
 
隆一は言葉を濁してその言葉をまた濁して言葉そのものの意味を深い泥土の中に埋めようとしていた。私はその言葉が、その真実が黒い泥の中に埋まってしまわないよう、必死に隆一の中から引っ張り出そうとしていた。目に見えて閉ざされていく隆一の心を必死に開こうとしていた。私は力の限り最後まで抵抗して、やがて力を出し尽くして隆一の「別れよう」の言葉と共に、永遠に真実は泥の中に沈んでいってしまった。呆気なく、その恋は終わった。
 
―――
 
……・・・。……・・・・。……・・・・・。
シャワーの音はいつもあの日の雨音を思い出させる。毎日入らなければいけないシャワーの中で、毎日あの日が想起される。あの日の記憶は毎日いとも簡単にシャワーの音によって追憶される。
 
「そうだよ。男が決めたにきまってるよ。哺乳類1心の狭い動物は人間のオスなんだ」
 
あの日の、水曜日の退屈な午後の、隆一の言葉。
 
哺乳類1心の狭い憐れな動物の為に、私は毎晩何かに憑かれたかのように、そう、何かに吊られたかのように腕を挙げて、何かを宣言するような格好でムダ毛を処理する。女性用カミソリで、我が身を削る思いで。

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