2003年02月21日(金)  出不精メカニズム。
「どっか遊びに行こうよ」「ご飯食べに行こうよ」この言葉が僕の口から発せられることは、まずない。僕は人を誘うことが苦手なのだ。苦手というか、何というか、誘うということに図々しいという概念を持っているのだ。僕が、他人を誘うなんて、図々しいよ。って。どこかで自分を過小表現しているというか、他人に気を遣い過ぎているというか、そういうところがある。
 
人を誘うことが苦手だという、そのメカニズムは結構単純で、要は僕がいけないのだ。僕は人から誘われるとかなりの高確率でそれに応じてしまう。あ、僕の口から発せられることはまずない言葉をもう一つ、「今日はダメ」そう、僕はエニシングオッケーなのだ。エビバデプッチーなのだ。例え「あぁ、厭だなぁ」「面倒臭いなぁ」なんて思っても、僕の口からは意に反して「僕も遊びに行きたかったんだ!」「お腹空いてたんだ!」などと「ご飯食べてからカラオケにも行きたいな!」なんて口から出任せにも程があることを言ってしまう。ハンバーガーとご一緒にポテトはいかがですか的な相手の要求に過剰に応じようとする無駄なサービス精神が旺盛なのだ。
 
だからそれを逆説的に考えると理解できる。僕が、誰かを誘おうとした場合、その誰かは、「あぁ鬱陶しいなぁ」「だるいなぁ」なんて思っても、その誰かの口からは意に反して「私もどっかに連れてってほしかったんだ!」「もうお腹ペコペコなの!」などと「ご飯食べてからホテルにだって行っちゃうわよ!」なんて口から出鱈目にも程があることを言ってしまっているのではないかと思ってしまうのだ。僕が常日頃から言っている「思考の一人相撲」はこんなところにも存在するのだ。
 
要するに僕は人の反応に対して必要以上に敏感になりすぎている。もっとこう、おおらかに、穏やかに、世の中とは進むべきはずなのに、あぁ、コソコソ話してる。僕の悪口を言っているのではないかしら。とか、あぁ、目を逸らされた。僕のことが嫌いなんじゃないかしら。などと、頭の中では、ホントもう、一文の得にもならない無駄なことばかり考えている。だから僕は例え遊びに行きたくてしょうがなくても、部屋の隅に体育座りをしてただ我慢している。
 
いらぬ荒波を立てぬように、その、そもそも波が立っているのかさえわからないけれど、とにかく僕が動かなければ、僕の周囲には波が立たないから、じっと座って時計を眺めて時間が過ぎるのを待っている。
 
じっとカレンダーを眺めて月日が過ぎるのを待っている。
静かに雲を眺めて世の中の移り変わりを傍観している。
「思考の一人相撲」を繰り返す僕の人生はそうやって周囲の予想を覆すことなく、ひっそりと、幕を閉じていく。

-->
翌日 / 目次 / 先日