2003年02月16日(日)  やすらかに死ぬことについて。
本日は尊厳死について。まぁいろんなところで議論されてるから今さらって感じがするんだけどね、尊厳死。尊厳死というか、「死」のことね。さしすせその「死」。これは、なかなか答えが出ないです。要は誰の為の死で同時に生であるかということなんです。「死」の焦点はそこに集約されているのです。
 
IVH。ね。中心静脈栄養法。あと、ご飯食べれないから鼻腔カテーテル。おしっこ自分で出せないからバルンカテーテル。点滴と、あと輸血。失禁するからオムツ着用。自分で体動かせないから褥瘡だってできちゃう。呼吸だってままならないから酸素マスク着用。で、96歳。
 
ね。わかるでしょ。いったい誰の為に生きているんだって。おじいちゃんの意思は、どこにあるんだって。もちろんそれは黄泉の国ですよ。魂はね、もう死んじゃってるんです。声を掛けても痛覚刺激にも反応しない。いったい誰の為に生きているんだって。ね。家族の為? 然り。そうかもしれないね。おじいちゃんいつまでも長生きしてね。なんて。「長生き」と「延命」の根本的な違いを、キミたちは、わかっているのか。って話ですよ。
 
そりゃあね、「生」と「死」の間にはすごい差がありますよ。だけどね、その「生」の意味を履き違えちゃいけないんですよ。ね。見てみなさいよ。このおじいちゃんにいったい管が何本刺さってると思ってるんだい。人工的な栄養素を注入されて他人の血を入れられて、それを無理矢理出そうとする。それが「長生き」なのか「生」なのか?
 
いや、別に延命措置を否定して尊厳死を肯定してるわけじゃないんだよ。要はひとりひとり考えてみろってことなんですよ。実際、悲惨ですよ。壮絶ですよ。もうね、何の為に僕たちは仕事しているのかって問題まで浮上してくるわけですよ。生きてて良かったとか、死んで残念とか、そういう次元の問題じゃないんですよ。
 
お国の為に命を掛けて銃を持ち、高度経済成長に貢献し、世の中潤ってきたころに、朝飯食べたか食べてないかも忘れてしまって、トイレが間に合わなくなって家族に文句を言われて施設に入れられて、介護保険? それは美味しいかね。なんて言ってまぁ、おじいちゃん呑気なのねぇ。なんて職員に言われて、それを可愛いおじいちゃんとか穏やかなおじいちゃんなんて間違えた認識をされて、施設から見える窓から舞い落ちる雪が見えるころにゴホンゴホン。あぁ風邪でもひいたかなぁ。いや、じいちゃん。それ風邪じゃないよ。インフルエンザだよ。ほら、肺炎併発しちゃった。点滴点滴、いっぱい栄養とらなきゃね。はーい鼻に管入れますのでちょっと我慢して下さいねー。あら、息、ちょっと看護婦さん看護婦さん。おじいちゃん、顎で息してるよ。それはね、専門用語で下顎呼吸というのですよ。そういうときは酸素マスクをつけるんですよ。酸素マスクつける頃にはもう、おじいちゃんの命は、おじいちゃんのモノじゃなくて、我々医療に全て委ねられるのですよ。
 
ね! 僕が言いたいこと伝わってるのかしら! 自分の体は固いベッドの上。魂は黄泉の国。それを「生」だというのなら! 僕たちは人間であって、それ以前に霊長類でホモサピエンスなんですね。それを「長生き」に例えると「僕たちは人間」という箇所で、「生」に例えると「それ以前に霊長類でホモサピエンス」なんですね。
 
大きな意味で、それは確かに「生」かもしれないけど、ほら、ね。答え、見えないでしょ。生とか死とか、正義とか悪とか、そういうものを通り越したところに「尊厳死」という問題が存在するのです。もはや神の領域。こんなの、医療の領域じゃないよ。生まれ変わったら神様になりたいです。

-->
翌日 / 目次 / 先日