最低の野郎どもへ - 2007年09月17日(月) ●先週末からなぜか「装甲機兵ボトムズ」の TVシリーズを見始めちゃってさ。 小学生以来、これで何度目かの鑑賞になるんですが、 いつ見てもいいね、ボトムズは。 特に次回予告のナレーションが実に素晴らしい! 第2話予告 「食う者と食われる者、そのおこぼれを狙う者。 牙を持たぬ者は生きてゆかれぬ暴力の街。 あらゆる悪徳が武装するウドの街。 ここは百年戦争が産み落とした惑星メルキアのソドムの市。 キリコの躰に染みついた硝煙の臭いに惹かれて、危険な奴らが集まってくる。 次回「出会い」。 キリコが飲むウドのコーヒーは苦い。」 まったく、夕食前の小学生が見るアニメじゃねえよな(笑)。 オレがコーヒーが苦い、と認識したのは、 何を隠そう、この予告ででした。 確かそう、小6のときとかだったなぁ。 第7話予告 「ファウストは、メフィスト・フェレスに心を売って明日を得た。 マクベスは、三人の魔女の予言にのって、地獄に落ちた。 キリコは素体に、己の運命を占う。 ここ、ウドの街で明日を買うのに必要なのは、ヂヂリウムと少々の危険。 次回「取引」。 ウドの商売には死の臭い。」 小学生相手にゲーテやシェイクスピアを持ち出すとは、 ボトムズの異常さはやはり際立ってますなぁ。 おいらは専門学校の卒業制作で 「ファウスト」をテーマに広告を作ったのですが、 その原点は完全にこの予告編でした。 シェイクスピアの『マクベス』はいまだに読んだことないけどな。 第16話予告 「愛を見たのが幻想なのか。心の渇きが幻想を生むのか。 戦いの果てに理想を見るのが幻想に過ぎないことは、 兵士の誰もが知っている。 だが、あの瞳の光が、唇の震えが幻だとしたら。 そんなはずはない。 ならば、この世の全ては幻想に過ぎぬ。 では、目の前にいるのは誰だ。 次回「再会」。 劇的なるものが牙をむく。」 だからよ、小学生相手に哲学突きつけるなっての! 特に、「そんなはすはない。ならば…」の切り替えしが秀逸(笑)。 ちなみにこの数年後、岸田秀の諸作を知り、 ガクゼンとした刈田少年なのでありました。 そうだったのか。 人生に必要なことは、すべてボトムズに詰まっていたのか、と…。 第17話予告 「変わる、変わる、変わる。 この世の舞台をまわす巨獣が、奈落の底でまた動きはじめた。 天が軋み、人々は呻く。舞台が回れば吹く風も変わる。 昨日も、今日も、明日も、硝煙に閉ざされて見えない。 だからこそ、切れぬ絆を求めて、褪せぬ愛を信じて求めて。 次回「急変」。 変わらぬ愛などあるのか。」 もはやロボットアニメでも何でもねえよな。 さらに……。 第21話予告 「大いなる偶然が全ての始まり。 芽生えた意識は行動を、行動は情熱を生み、情熱は理想を求める。 理想はやがて、愛に行き着く。愛はすべてに呵責なく干渉し、 創造の嵐を育む。そして、放たれた雷は誰を打つ。 次回「触発」。 必然たりえない偶然はない。」 第30話予告 「この、果てし無く広がる闇は、輝く星のためにあるとしたら。 今日という日が、明日のためにあるとしたら。 天国はこの地獄の隣にあるはずだ。 ここはもう充分に見た、充分に。 譬えそこが禁断の地であろうとも。 次回「不可侵宙域」。 だが、今日という日が、昨日のためにあるのだとしたら。」 第48話予告 「人の世の喜びも悲しみも、一瞬の星の瞬き。万物流転。 全てが宇宙に仕組まれた、巨大なイルミネーションだとしたら。 底知れぬ闇の中にしつらえられた、ただ一つの椅子に座り、 いつ果てるとも知れぬ、無数の光の象徴を見つづける者。 それは誰か。 次回「異能者」。 それが、我が運命なら。」 もう何のことやらまったくわかりません。 もはやアニメやTV番組といった範疇を超え、 文学的意味・価値すら持ち始めているのだから不思議です。 オレって子供時代に、延々こんなものを見てたんだなぁ。 月並みですが、やはり当時のアニメはすごかった。 本当はオレらもこういうヒリヒリ来るものを 世のお子様に届けなくてはならないんだろうなぁ、と思う次第。 ...
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