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サナギの季節、一瞬の輝き - 2007年09月20日(木)

幕が下りた直後、となりに座っていた
『クイックジャパン』だか『コンティニュー』だかを読んでいそうな
下北系オサレヲタが放った、訳知り顔の一言が気になった。

「次は面白そうだな」

お前ら、一回、死んで来い。
これが面白くないとでも言うのか?


問題にしたいのは"物語の普遍性"である。
当時は散りばめられた謎、映像、演出、セリフに振り回されていたが、
10数年ぶりに見たそれは、"揺ぎ無き古典"としてそこに在った。
ここで言う古典とは、古臭いものという意味ではない。
時代を超えるスタンダード、もしくはそれになりうる可能性がある、という意味である。
90年代の空気の産物と思われていたあの物語だが、
その耐用年数は遥かに長いような気がする。

少年は(もしくは少女は)浪費する生き物だ。
何のために教科書を開くのか。
何のために校庭を走らねばならないのか。
何のために人を好きになるのか。
そして、何のために生きるのか…。
そんな疑問をいちいち己に問いかけながら、
前を向いたり後ろを向いたり、包皮を剥いてみたりする。
それは時間の無駄以外の何者でもないのだが、
その"自問自答する姿"こそが美しいというのもまた事実。
幼虫から成虫に羽化する直前の一瞬の輝き。
サナギの季節。
そのストラクチャーが過去作よりもはっきりと見えた。

勿論、仕掛けはたっぷりと用意されている。
特にラストを飾るヤシマ作戦の表現は、
本作に"映画としての強度"を持たせてることに成功している。
当時とは異なるキャラの誘導法、動かし方は絶品だ。
我々はただ物語に身を委ねていればよい。

唯一気になったのは、尺だ。
近年、映画界では作品を1時間30分前後にまとめ、
上映回数を増やし、動員数を上げるという手法が一般的になってきている。
マーケティングは大切だろうし、それに従うのが"大人の仕事"だ。
それをわかった上で言わせてもらえば、2時間で見たかった。
Zの時もそうだった。

以上、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の感想でした。
これからパンフでも読みます。


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