小室哲哉について真剣に考えてみる - 2006年11月19日(日) 今回も90年代流れのお話。 今まで徹底的に避けてたんだが、そろそろ 小室哲哉氏の音楽について真剣に語ってみたいと思う。 私と小室の音楽の出会いは意外と古く、 TMのアルバムで言うと『CHILDHOOD'S END』 『TWINKLE NIGHT』(ともに85年)あたりになるのだが、 この2枚には相当感銘を受けたものだった。 メロディやシンセ使いの音色はもちろん、 その歌詞がアーサーCクラークのSF大作『幼年期の終わり』、 菊地秀行の小説『吸血鬼ハンター』といった 内外のSF/ファンタジーに影響を受けている という事実を知った私は、口角泡を飛ばしながら 「小室はすごいぞ」 とクラスの連中に説明しまくったのだが、 そこいらの中坊にアーサーCクラークと言ったところで わかるはずもなく、当然のように理解されなかった。 大人がわかってくれないのは重々承知していたが、 子供もわかってくれなかったのだ。 だから、その後、『Get Wild』でTMが売れたとき、 反骨精神旺盛な13だか14の私は思った。 「だから言ったじゃねえか」 「おそいっつーの」 「てか、オメーラ、アニメの主題歌だったら聴くんか?」 確かに『Get Wild』はいい曲だが、歌詞もサウンドも、 初期TMのエッセンスを徹底的に薄めたものでしかない、 という感想だった。 そして、ここからはもしかしたら、の仮定の話でしかないのだが、 私と同じような感慨を小室本人も抱いていたようなフシがある。 90年代前後の小室がプロデューサー業へ転進して 業界を席巻したとき、TM時代とは明らかな変化があった。 それはサウンドやメロディの問題ではない。 享楽的なtrf『EZ DO DANCE』、 女の子の生態を描いたhitomi『CANDY GIRL』を聴けばわかるように、 歌詞からSF性/ファンタジー性が排除され、 街の風景が描かれるようになったのだ。 宇宙からストリートへ。ファンタジーからリアルへ。 未来を見るよりも、今を語る…という変化が見られた。 小室は悟っていたのかもしれない。 『Get Wild』での成功は、SF性/物語性を薄めたことが勝因だった。 誰にもわかってくれない世界を描いても勝てはしない。 ならば、TMが内包しているSF性を捨てることでしか、 次の展開はない、と。 全ての小室ワークを押さえているわけではないので、 浅はかな認識で申し訳ないのだが、 小室氏が最後にSF性を発揮したのは、 globeの『CRUISE RECORD 1995-2000』だと思っている。 このアルバム、ただのベスト盤のように見えるが、まったく違う。 ヒット曲の間に実験的な新曲、インタールードを配置することにより、 コンセプトアルバム仕立てになっており、 この時点で何らかの意図を感じる。 DISC2の冒頭で、パーラメント/ファンカデリックの 『Let's Take It to the Stage』が サンプリングされているのは象徴的だ。 パーラメント/ファンカデリックは、 「宇宙人がゲットーに降りてきて、人々を救う」 というSF的な世界観を肉体的グルーヴ感でもって構築した ファンクバンドである。 SF好きの小室氏ならありえる選択である。 しかし、今の耳で聴くと驚くことばかりだ。 詞はリアルな街の光景を鏡のように 映し出すことに徹してはいるものの、 メロは歌いにくいし、奇怪なループやサウンドだらけ。 これは完全にプログレッシヴJ-POPだ。 こんな先進的なものが売れていたんだから、 やっぱり90年代はとんでもない時代だったのだ、と思う。 これを10代の頃に聴き続けていた今の20代は、 確実に僕とは耳が違うはずだ。 今のチャートに上がっているJ-POPに 飽き飽きしていてもおかしくないだろう。 ...
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