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2002年11月24日(日)
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笑い |
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前頁では怒りを書いたけど、実際は笑ってる事が結構多かった。 私たちは、「こんな時に笑うのは不謹慎だ。」とかなんとか言われるような家族。 どんな時でも誰かの毒舌とも言われそうな一言が笑いになった。 それは、「笑いが絶えない家族だ」と父上が自慢していたことの一つだった。
父上が手術を終え、ICUに入っている時。 その姿に、母上は泣きながら、ティッシュで涙を拭いていた。 まだ、喋る事が出来ない父上は、ジャスチャーで手を動かして何かを訴えた。 すると母上は「え?ティッシュ?」と言いながら父上の手にそのティッシュを持たせた。 父上は、物凄い不機嫌そうな顔をして、そのティッシュを振り払った。
だって、父上のその手はあきらかに、時計の方向を指差していたんだから。 「今、何時だ?」と聞いたのに、ティッシュを渡した母上。 あまりにも可笑しくて、ICUだというのに、皆が大声で笑った。 母上は、どこまでも父上の気持ちを見当違いするタイプなのだ。
意識が殆ど無い感じで眠りつづける父上は、それでも笑わしてくれた。 病室には、母上と私。2号が居た。 2号がふいに、父上のベッドの足元にある、荷物が沢山のった机でゴソゴソしはじめた。 すると。 それまで、いびきをかいていたハズの父上が、急に頭を上げて2号の方を見たのだ。 それはまるで、 「悪さするんじゃねーだろうなぁ?」 と、2号の気配で起きたとしか言い様が無かった。 私は可笑しくて笑いながら2号に 「お前がカバンごそごそするから、お父さん、財布とられると思ったんじゃないの?」 と言ったのだが、多分、その説はあってると思う。
2号はその後も、何かのたびに笑かしてくれた。 父上が家に戻った日。 私は、一旦自宅に戻り、着替えなどを用意して実家に戻ると、既に母上と1号。親戚が居間で父上と共に眠る体勢になっていた。 私が入るスペースが無さそうだと思い、台所で冷蔵庫を開けようとしていると
「一体、何時まで電話してるのっ!」
と母上が怒鳴った。 母上が怒るのは、大人になってから殆ど聞いた事が無いし。第一怒鳴られるようなことは、大人になったらそうそう滅多に無いものだ。 怒られたのは、まさしく2号だった。 午前1時にもなるのに、2階でコソコソ電話をしていて母上に怒鳴られたのである。 30過ぎて2児の母親でもある2号が、母上に怒られた。しかも父上が亡くなったその状況で怒鳴られていた。 可笑しくて可笑しくて、翌日1号と共にゲタゲタ笑った。
そんなことをしていた罰に違いない。 私はその晩、一人2階で眠っていた。 後から、1号が笑いながら報告してくれたところによると・・・ いつもは、寝ぼ助の1号もさすがにその日はさっさと起きたらしい。 ところが、2号は周りの皆が起きたにも関わらず、熟睡。皆は朝食の用意で台所へ。 その2号がハッっと目を覚ますと、
父上と二人きりだった・・・
多分、自分の父親とはいえ、怖かったんだろう。相当、2号は慌てた様子で起きてきたらしい。 「あいつ、電話してた罰が当たったんだぜ」と1号と腹を抱えてその慌てぶりを想像して笑った。
父上が実家に居る間、葬儀社の人に2回ほど来てもらわなければいけなかった。 それは、私のトラウマになるほどのことだったのだが、一号が 「お父さん、やってくれるよなぁ〜」 と言ったことによって、それは笑いに変わった。 亡くなっても、父上はいつもと同じように、私たちを驚かせてくれた。
通夜と告別式の間中、2号のおしゃべりは止まらなかった。 まるで、行事に張り切るおばちゃんのようなその姿。その発言の全てがワイドショーっぽくて、嫌だった。 多分、2号も実感が無く、他人事状態だったのだろうと心情は察するが。 火葬場へ行く時も、2号はベラベラベラベラ喋りつづけていた。1号は正反対に押し黙った状態だ。 2号のおしゃべりに辟易した私が、「少しは黙ってろ」と怒ると 「喋ってないといられないんだもん」と2号は言いつつも、それからは黙ってくれた。
斎場では、親戚の無神経さに3姉妹とも腹を立てていた。 そして、途中から2号が頭痛がする・・と言い出した。 その帰り道。 私は一人、他の親戚と同じタクシーで斎場に戻ったのだが、あまりの睡魔に負けて着くまで眠りコケタ。 ところが。1号と2号は同じタクシーだったのだが、2号が気持ち悪くなったらしい。
結局、これもまた「罰が当たったんだ」という結論になり、1号と笑った。
斎場に戻ってからは、初七日法要があった。 通常、お坊さんがお経を唱え、その後献杯となるのだが・・・ その厳かな席にいきなり、プシュッ と音が響いた。
見ると、すっかり、酔っ払った1号が、「飲まなきゃやってらんねぇ〜」とばかりに酒を開けてしまい、周りの皆が慌てふためいた。 1号は、テーブルの向かいに居り、私の隣は2号だったのだが、2号が「1号なんとかしろっ」と私を小突いた。 なんとかしろと言われても、向かいでは何ともできん。 それを抑えてくれたのは、父上の長兄の叔父だった。1号の酒のフタを抑えてくれた。 いつも気難しい叔父のその姿が、なんとも可笑しかった。 そして、さらにはお経を唱えている間中、1号は酔っ払い特有の笑いの神様に見舞われていた。 私たちはひたすら肩を震わせ、笑いを押し殺し続けた。
それから数日間。 実家で色々な事を集まって片付ける間中、私たちは笑いつづけていた。 記憶にある限り。残った4人で集まって、しんみりしたということは一度も無い。
今でも、父上ネタは笑いになる。 笑いの神様は、本当の笑いの神様になって今でも私たちを笑かしてくれる。
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