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2002年10月19日(土)
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男女平等 |
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やっと、宅急便の準備を終えて、4日掛りの仕事が終了。 疲れ眼が酷くて、自分の日記を見て目がチカチカしてるし。 ってことで、今日はなんとなくフォントサイズ大きくしてみました。
昼間、テレビを点けっ放しで仕事をしていたら、「報道特撮プロジェクト」という番組が始まった。 学生から程遠い年齢になっているので、全く知らずにいたのだが 「公立高校の男女共学化論議」なるものが勃発しているらしい。 要は、公立では「女子」「男子」の別学校を全て「共学」にしようっ改革が進んでいるとか。
なぜに、別学がいけないのか? 色々主張はあるらしいんだけど、特に番組でクローズアップしてた理由が 「男女共に学ぶ事で差別を無くそう」ってことらしい。
はぁ?なんだ? 世の中、男女平等と叫ばれて久しいけれど、確かに平等って言えない部分は沢山ある。 でもさ。男女が別々の学校で勉強することが、なんで男女差別に繋がるわけ? 私からしたら、全くもって理解不能。
いつも思うんだけど。 差別差別って騒ぐ人達って、差別を意識しすぎてて、余計に差別を生んでるって感じるんだけど。 確かに、差別が酷い部分って言うのはあるんだと思う。 そういう事に対しては、断固として意識改革を図らないといけないって思うよ。 でもさ。そうじゃなくて、もっと身近な事とかで「差別」って聞くけどさ。 それって、自分より、相手が「劣ってる」とか、自分とは相手は「違う」とか。 そういう事を「意識しすぎる」事から差別って始まると思うのよね。 人って一人一人、皆違うのが当然で、男と女も違うのが当然で。
それは、もう、ごくごく普通に、その感覚は子供の時から育っていくものでしょう? 親とか大人が教えることで自然に芽生える、「当然の思いやり」とか気持ちの問題でしょう? 「他人を尊重出来る人間に育てる」ってことで、差別なんて無くなるんじゃないのかなぁ? なのに、なんで、形式を変えることで差別を無くそうって発想になっちまうんだ? 全然わからん。男女差別って、そいういう問題と違うと思うし。
私も女子高だった。 本当は、共学の公立に行きたかったから、入学当初は落ち込んだ。 出席番号順の座席で、一番後ろの席になる私から見える教室の光景は、全てセーラー服一色で、かなりげんなりしたもんだ。 でも、いざ、慣れてみると「共学に行かなくて良かった」という思いに変わった。 異性の目が無い事で、慎ましさは失うかもしれないけど(笑) でも、飾らない気質が育ったのも事実だと思う。 中学までの私にとっては、女の子同士の中に男って存在が入る事で、問題が起きるっていう意識があったから、居ない方が楽だったのもあるし。 多分、別学に入った事がある人の中で、良かったっていう人は多いと思うけどな。
番組では、現役別学に通う高校生にもインタビューをしていた。 その中で、伝統あるらしい男子校の生徒が言った言葉が印象的だった。
「男女平等」っていうのは、同じにすることでは無くて、 お互いを尊重するっていうことだと思う。
高校生にして、この考えを持ってるなんて。 きっと、この子は素晴らしい男性になるだろう。
っつーか。これ、基本でしょ?なんで、それを大の大人が分かっていないのだ? 「男女平等教育」って構想自体が、そもそもナンセンスだと思うし。
だったらさ。 私たちの時って、今は知らないけど中学から男女別の教科があったじゃない? 女子は家庭科。男子は技術って分かれてた。 体育も、男子だけは柔道があったし。 それだって、立派な男女差別ってやつになっちまうでしょうが?
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