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2002年10月16日(水)
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譲り合い |
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仕事が来た。たんまり来た。 薬局で買ったドライアイ用の目薬が、スースーするだけで効かない。 よって、眼科で処方された残りわずかな目薬を点すのだが・・・
右眼にて3滴。左眼にて2滴。 合計5滴もの貴重な目薬が頬を伝って流れていった。 左右一滴ずつ、やっとこさ的(まと)である眼に挿せたものの、それも睫毛に阻まれ入った気がしない。 いや、なに。眼が五木ひろしだとか、睫毛が浜崎あゆみだとかの自慢じゃなく。 睫毛が全て下を向いてるというのは、原因の半分かもしれないが。 だからと言って、銭形警部の目だとか言われた過去を持つ理由は、下睫毛が要因であろうと思われるので、目薬には関係無いかと。
だから、単に、目薬を点すのが異常なまでにヘタクソかつ、怖がりであるからして。 眼をしっかりと指で見開いているにも関わらず、抵抗勢力である瞼の力が、普段タイピング以外に能力を発揮しない指よりも、強いと言うことだろうと思う。 うむ。指で掴む訓練が必要か。
あらまぁ。また、前フリが長すぎるし。
さて。 譲り合いと言えば、思い出すのは食事をした時のお会計。 友人でも、接待でも何でもいいが、会計の段階になって 「今日は、私が・・」 「いえいえ、とんでもない。私が・・・」 という揉め事をレジの前で引き起こす人々を良く見かけるものだ。 あれって、邪魔だし。早くしろって感じなので止めた方が良いと思う。
時として、食事をしたテーブルにて、伝票の争奪戦が繰り広げられている事もある。 伝票を店員が持って来た時に、どっちサイドに置くかにもよるが、伝票が来た瞬間に、まるで百人一首の名手のように、ササッっと伝票を取り上げて行くオバちゃんの手の早いこと早い事。 って、これは、私の母親なのだがね。 不思議なことに、伝票を手に持った人っていうのは、相手が「ダメよ」と取ろうと手を伸ばすと、その伝票を背中に回して隠す仕草をする人が多い。
これを、どっちが奢る奢らないの話だと理解できない人から見たら、 「ちょっと、ダメよ。寄越しなさいよ」 「いやいや。いいのよ。これは私のものだから」 「何言ってるのよ。それじゃぁ、こっちが気分悪いし」 「こっちも、それじゃぁ気分が悪いわよ。いいから。今日は私が」 みたいな会話は、子供のおもちゃの取り合いに見えなくもないかな・・・とか(ムリ)
私の場合は、食事に行く前に暗黙の了解が得られない場合は、 「今日は、御馳走させてくださいね」 などと言っておく。 しかし、それをすると相手が気を遣って食べない場合があるので、大概の食事が済んだ後に言うことにしている。 そこで、相手も引かずに揉めそうになったら、あっさり割り勘もしくは 「ババーみたいだから、恥ずかしいから止め様よ」 と相手を諭して、勝利の伝票を手にするのである。
じゃなくて、例えば電車ってどうだろう? 席を譲るのに相手とタイミングを計るのが、結構難しいと思うんだけど。
先週の打ち合わせの帰り道。 慣れない靴と慣れない外出によって、ヘコタレていた私に、座るチャンスが到来した。 目の前の席が空いたのだ。 しかし、その空席になった隣に座っていたオバちゃんが、大声で 「お父さんっ!お父さんっ!」 と中腰になって、何処にいるのか分からぬ亭主を呼び出してしまった。 こりゃぁ、座ったらいけないのかしら?と悲しい疑問を持ったが、なかなか「お父さん」は現れない。
じゃ、いいや。座っちまおうと、棚の上に置いた重い書類ケースを下ろしたところへ、私の隣に禿げた背の高いオジ様がやってきた。 「この人が、このオバちゃんの旦那さんかしら?」 そう思った私は、仕方なく「どうぞ」と席を指し譲ってみたところ、 「いえいえ。私は次の駅で降りますから」 と紳士なおじ様は遠慮なされた。
なんだよ。次で降りるならいいじゃねーか。オバちゃんもイチイチ呼ぶなよ。 心で少々、悪態を付き、じゃぁ、遠慮なく・・・・と、棚に戻しかけた書類ケースを再び持ち直し、席に座ろうかなぁ・・とした瞬間。 紳士なおじ様の脇から、ちっちゃいおじいちゃんがやってきて、すすっと私の目の前の空席に納まった。 どうやら、私はオバちゃんの旦那を勘違いしていたようである。 そうね。二人並んで座ったその姿は、とってもしっくりきたものね。
私の世渡りのモットーは、「泣く子と酔っ払いとオバちゃんには逆らわない」だ。 泣く子はまだしも、酔っ払いは逆らうと手に負えない事になると身を持って知ってるし。 オバちゃんは、かつて同じ職場だった時に、ついうっかり逆らってしまったせいで、会社を辞められた苦い経験がある。 その簡略化された思考については、私の想像の域を越えているので、それ以降は当たらず触らずを心掛けるようになった。
そうじゃなくて。じゃぁ、車の場合。 一般的に「女は道を譲らない」とか言われる事が多い。 要は、「道を譲るような余裕が女には無い」って事でしょう。嫌な評価だ。 しかしながら、私は自慢じゃないが譲る。 それはなぜかと申せば。車相手の場合でも人相手の場合でも、声の届かぬ距離なのだ。 ってことは、相手の意思が見えない。想像の上で、お互いが動いたり止まったりするのだから、こんなに怖い事は無い。 よって、止まって「どうぞ」と意思表示をハッキリした方が、怖がりの私としては、安心なのだ。
しかし、これが時に『お前に譲ったんじゃねーぞ』って事があるから困る。 お相手の家に行くまでには、狭い路地から線路を渡る直線の道がある。 その踏み切りは、擦れ違いが出来ない狭い踏切であり、さらには、私が踏み切りの手前に止まっていると、対向車からみたら私の車が道を塞いでいる状態だ。 逆に、踏み切りの向こう側であれば、なんとか擦れ擦れ行き違う事が可能。 よって、私が踏み切り手前で止まっている限り、私優先で行かねば通行不可能な道。 そして、その線路の脇には平行に、道があり。 例え電車が居なくても、その平行の道を横切る歩行者や自転車があれば、私側からきた車は、線路の手前で停止しておかねばならぬのだ。
昨夜のこと。踏み切りは開いており、電車は来ない。が、平行の道の右手から自転車が一台来るのが見えた。 当然、踏み切りの手前で止まる。対向車はタクシーだった。勢いがついているので不安になる。 自転車も、心得ていて、一旦止まってしまっている。 私は、自転車に譲るためにライトを消して「どうぞ」と手で合図した。
自転車の人は一瞬、こっちを見て戸惑っていたが、動こうとした瞬間。 何を思ったか、対向車である、タクシーが、突進してきたのさ。 あぶねーったらありゃしない。自転車は、そのタクシーの後ろを通って無事通過したけどさ。 そのタクシー。勿論、線路内の踏み切りに入ってきた。 ところが、そっから先は、私の車が出口に蓋をしている。 当然、踏み切りの中で止まってしまった。
バカだねー。アホすぎねー?どーすんのよ? 飽きれ返り、一瞬唖然としたけれど、どう考えても踏み切りの上に車があるのは危険すぎ。 釈然としないけど、私が5mも下がれば入ってこれる訳だしと、バックしようとしたら、当然のように前進してくるタクシー。 結局、私の後方に人やら自転車やらが来て、自分がバックした方が早いとやっと判断したタクシーが、1分ほどしてバックしたから解決したんだけど。
一応ね、バックするのは当然だけど譲ってもらったので、挨拶したけどさ。 いつも思うのさ。他にもあるじゃない?一台はOKだけど、後続車まで譲ってね―ぞなんてこと。 あれって、意思表示の方法が何かあればいいんだよねぇ・・・ 「人に譲ってます」とかそういうの。 パッシングって、大抵反応するのが車だから、逆に歩行者に譲る時には勘違いされて危険だし。
そうそう。前にも書いた気がするけど。 修学旅行生で賑わう土地の踏み切りで、交通ルールに従って一時停止した時に。 勿論、電車は来てない訳だから、ちょっと停止してGOな訳。 が、そのGOってブレーキからアクセルに足を踏み変えた瞬間に、 ペコリと頭を下げて修学旅行生が目の前を横断。
あぶねーって。一時停止しただけで、譲った訳じゃないから。 お礼されても、こっちは、焦って轢きそうになってるんだからさ。困るんさ。
美しい譲り合いとは言ってもさ。この人間界は非常に危険なわけなのよ。 でね。だから、やっぱ。 これからの人間には、テレパシーが必要になるかねなんて、 半ば本気で大それた事を思う私であった。
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