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2002年08月21日(水)
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あやまる |
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昨夜は涼しかったですな。 窓を開けて眠ったのですが、寒かったらしく夜中に閉められました。
お相手の家のクーラーはそれはそれは古くて、外の方が涼しいからか、生暖かい風しか出ませんでした。 古いのをそのまま使っているからでしょうか? 以前、「あたしは、真夏日でも『除湿の28-30度』設定で生活してる」と申した時に 「え?除湿でも温度設定って出来るの?」 と真顔で聞いておられました。 あたしと一つしか違いませんが、やつはあたしよりも古いヤツだと思われます。
とりあえず、タイトルが「あやまる」なので、頭を下げてる風でこり。
昔、幼い頃に図工の教科書か図鑑で見かけて、めちゃくちゃ欲しかった記憶があります。 先日、濱マイクにも出演してましたな。今でも欲しいです。
では、本題に。今日はイラストに似つかわしくない、小難しい屁理屈です。
日常生活の中で、人に対して謝罪する時、一番多く使う言葉って何でしょうな? 「ごめん」ですか?「悪いっ」ですか? この際、「すみません」とか「申し訳ございません」とかは抜きとして。
あたしの場合、お相手に言われるのが「ごめん」って言わないよなってこと。 いやいや。それは勘違いだと思うのです。 あたしは、よく「ごめん」って言わないでいいのに〜と人に言われて生活してきました。
例えば人にぶつかった時。すぐに「あ、ごめんなさい」と出ます。 人の手足を踏んだら勿論、咄嗟に「ごめんっ」って出ます。 待ち合わせに遅れても「ごめんね〜」と言います。 ちょっとした時に、例えそれが気心知れた相手であっても、手が同じタイミングでぶつかっただけでも「ごめん」は出ます。 相手が気を効かして、何かを持ってきてくれたときも「あ、(気付かなくて)ごめんね。ありがと」と言います。
では、「悪いっ」って言うのはどういう時かって言うと。 喧嘩した時とかだと思われます。 「言い過ぎてごめん」とは言いません。 「言い過ぎたね。悪かったよ」と言います。 相手が気分を害したのを感じた時に、「悪かった」と言うような気がします。
お相手は、あたしにこの「気分を害した時」に「ごめんなさい」を言えと言ってるのでしょう。
でも。これは、あきらかに価値観の問題なのでは?と思いました。 普段からイチイチ拘って謝罪の言葉を選んでいる訳では無いのですが。 ちょっと考えてみるとですな。あたしの場合、
自分が一方的に悪かったな〜と思う時には『ごめん』
相手も一部。あたしも一部悪かったなぁ〜と両成敗の時には『悪かった』
が出てくるような気がするのです。
あたしにとって、「ごめんなさい」という言葉は、本当に悪いと思った時にだけしか出ない仕組みになってる模様。 とりあえず、「ごめんなさい」って言っておけばいいやっ 的な考え方を、あたしは出来ないのだと思われます。
もっと小難しく勝手に付け足せば、『ごめんなさい』の言葉の中には、相手への『感謝』も含まれている時もあるのです。 「待っててくれて有難う。待たせてごめんなさい」 「気を効かしてくれて有難う。気が付かなくてごめんなさい」
後は、人にぶつかったり、人の手足を踏んだりなんてーのは、あたしの不注意と分かることなので、「ごめんなさい」なのですわ。
逆に。「悪かったね」という時。 その言葉には、「有難う」は含まれていないような気がします。 代わりに付くのは「でもね」とか「だけど」とか。 前置詞(表現間違ってるな)としては「その点に関しては」が必ず付いている気がします。 「そう言ったのは悪かった。でもね、貴方のその部分も悪いのよ」
元々、あたしは謝るなんて事は、気心しれた仲であまり必要無いとか思ってるのですわ。 素直に「ごめん」って言わない人だって、付き合ってれば多少反省してることぐらい分かります。 それを察知しあっていけることが、あたしにとっては居心地が良いのです。 いちいち、謝らなくていいよ。謝られても、こっちがバツが悪いよ。 そんな時だって、沢山あっていいじゃないすか。
それに。あたしは、人と人とのイザコザの中に、どっちか「だけ」が悪いってことは、あまり無いと思うのです。 ごくごく普通の夫婦喧嘩だったり、兄弟だったり、友達だったり、恋人だったり。 そんな関係の中での言い合いで、一方的にどっちかに非があるなんて、あたしは思えないのですわ。 どっちもどっち。原因は両方にある。怒った方も短気すぎ。怒られた方も不注意だった。 そんなもんじゃないすかね?
人それぞれ、嫌な事なんて違います。それを一つ一つ相手に「気をつけて」と求めるのは、それこそ間違いだと思うのですわ。 だから、あたしは例え自分がめっちゃ傷ついたとしても。 相手に悪気が無ければ良しとするのです。悪意が無ければ仕方無いんす。気にするあたしも、どうかしてるんす。 傷ついたのは、あたしの弱点がそこにあったからだけで。相手だけのせいじゃない。 まして、相手が良かれと思って発した言葉で傷ついた時。 その善意を素直に受け取れない自分に問題があるんじゃないか?ってあたしは思うのですわ。
あたしの場合、良かれと思って発した言葉が原因で、相手が怒り出すってことがありますな。 あたしは「そんなに気を遣ってくれなくていいのよ?」のつもりで言うのだけれど 相手にとっては「文句つけられた」みたいに取られたり。 あたし側から見たら、そんな風に捻くれて物事を取る相手が変。 でも、相手側から見たら、きっとあたしは無神経なのでしょうね。 だけどね。端から見たら、どー考えてもお互いに無神経なのかもしれませぬ。 だから、やっぱり両成敗。お互い様。謝罪するほどの事とあたしは思えないのです。
こんなちっぽけな気持ちの擦れ違いに、いちいち謝罪しろって言われたら、余計に腹が立つのは当然。 だから、あたしは「悪かったね」しか言葉が出ないのです。 悪かったね。その部分に関しては。 それしか、あたしには思いつかない。
ドラマとかでも、見かけたことあるけど、「謝れっ!」って相手に強要する人いるじゃない? 「ごめんなさい」って相手に言わせて、それで満足する人。 あきらかに、あたしはおかしい事だと思う。 心が無い謝罪を聞いて、何を納得できるんだろう? 単に、「自分の方が正しいんだ」って事を、相手の謝罪の言葉によって自己満足したいだけじゃんか? 要は、威張りたいだけじゃんか? ってあたしは思うのですわ。
耳に聞こえるものね。「ごめんなさい」って響きは、最上級の謝罪として耳に残るものね。 結局は、そういうタイプは物でしか何も見えない、分からないんだと思うのですな。 言葉が無くても分かる事の方が、世の中には沢山あるじゃないか。 言葉なんかに頼らなくても、謝罪の気持ちも感謝の気持ちも、見えるじゃないか。 それを黙って分かりあえる方が、言葉が無くても相手を認められることの方が、ずっとずっと気持ちがいいじゃんか。
こんな考えをしているあたしに、時々「冷たい」だの「不親切」だの言う人が出てきます。 例えば友達が、誰かを傷つけたり間違っていそうな事をしていたり。 そういう時に人はどうするものなの? 「それ、間違ってるよ」って教えるのが親切なの?言うのが友情なの? それが、友達のためになるって本気で言ってるの? 大体、そうやって「冷たい」だの言うのは男性なんだけど。
あたし、違うと思うのよ。それもそれで、バカにする訳じゃないけど青春っぽくていいじゃない? でもね。相手が間違ってようが、誰かを傷つける発言をしてようが。 あたしにとっては、その人はその人。 その暴言であろうが何であろうが、世間一般から見て悪い性格であろうが。 それも含めた上で、あたしは相手を認めてる。 他の誰かから見て、それが間違ってるっていうのは価値観の違いさ。 それが、良いって言う人だって、広い世の中には居るんだし。 だから、あたしは相手のその悪いと言われるところも尊重するよ。 欠点は、最大の長所の裏返しである場合が結構あるし、相手を矯正しようなんて思うのは、自分本位でしかないって思うから。
ただね。その人が「損してるな」と思ったら、考えを少しだけ方向転換しないと「苦しそうだな」って思ったら、「こういう方向もあるんじゃなぁい?」とは言うけどさ。 大概は、な〜んも言わない。 あたしがすべき事は、言葉使いとか態度とかそんなの注意するっつーそんなちっぽけな事じゃなくて 本当に本当に、相手が困ったときに助けるのみ。
話が逸れた感じがするけど。 要はね。
相手を認めていたり、尊重出来るのであれば
何かを相手に求めることも、
何かを相手に強要することも
しない関係でいられるんだけどなぁ・・・って事なんですわ。
相手を尊重するって、そんなに難しいことなのかい?
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