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2002年05月24日(金)
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悪意に熱意 |
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『悪意』って、「許せない」って気持ちから発生するんじゃなかろうか? なんてことを考えた。
「許す」とか「許さない」とか。周りがよく口にするけど。 あたしには、なんだか、よー分からんわなって思ったり。 あたしの物事の取り方は、人に言わせると御人好し系。 タイトルにまで付けてるし、善人だと自分で誉めてるようだけど、逆よ逆。 「御人好し」と言われることが、あたしの中で「ヒット」してるだけの話。 だって、あたしはどっちかっていうと、悪人系。 口は悪いは、愛想悪いは、目つき悪いはの3拍子。 それを、周りの誰もが知ってるクセに、御人好しと呼ぶアンバランスさを面白がってるだけ。 現に、「許す」って打とうとしてるのに、3回も「ゆする」って打って、さらに「強請る」変換してるし。 潜在意識を物語ってますな。
そう。あたしは、人を「許す」などという感覚は無い。ゆえに、使い慣れてない。 そんな、エライ人間じゃないし。 ただ、相手の行動や発言を「受け取れるもの」か、「受け取れないもの」か。そんだけの判断だ。 他の人も多分、そうでしょう? 自分の心が「いやだ」って言った場合には「許せない」。 自分の心が「いいよ」って言った場合には「許そう」。 たった、そんだけのこと。単に自分に合うか合わないか。そんだけのこと。 いや、なに。これは、刑法に触れない範囲の事。 友人関係・会社の上下関係・同僚関係・親子・兄弟関係のこと。
では、実験。 あたしの言葉は、許されるものなのでしょ〜か?
昨日の日記の最後のHがヘラった理由の会話 あたしとHの学生時代からの友人Tは、神経系の薬を10年選手で飲んでいる。 出産予定日を迎えても、なかなか陣痛がこないTは、マタニティーブルーを超越してしまっていた精神状態。 そんなTを出産前に見舞ってから、一週間は過ぎた頃。 Hのところへ、やっとTの旦那さんから3日ほど前に生まれたと連絡が入った。 (それを踏まえてこの会話)
H:「生まれたってよ〜」 あ:「おお。良かったじゃんか。」 H:「なんか、何も言ってなかったから(精神状態)平気みたいよ。」
あ:「そりゃぁ〜、
子供産んだら正気にも戻るでしょ。痛いもん」
この後、Hは「そりゃそうだ」と大爆笑。 読んだあなたも大爆笑・・・・・? だったら、あたしと友達になれます(笑)いや、本当になってくれとは申しません。
さて。不愉快だ!とあたしの台詞に「悪意」を感じた方へ。
Tは、かれこれ、15年以上もの友人である。 彼女が救いを求めれば、すぐさま駆けつける。 何時だろうと電話に出るし、何時間でも付き合う。そんな仲。 Tは、待望の妊娠をした。しかし、予定日が来ても一向に生まれず。 そんなある日、Hと一緒のところへ電話があった。 「あたし、おかしくなっちゃって」と。 駆けつけると、あきらかに目は遠くを見ていたし、 新聞の不幸記事を読んでは「自分のせいだ」と責めていた。 アンディーの死亡記事は、自分が子供を授かったせいだとか。 Hが、その少し前に流産してしまったことも「私のせいだよね」と謝り出す。 TはHの妊娠を知って子作りを開始したのだが、自分がHの幸福を奪ったに違いないと。 勿論、そんなことは有り得ない。 でも、Tは本気で思っているので、あたし達の「なに言ってんのよ!違うよ」という否定は、Tにとっては「慰めてくれて有難う」にしかならなかった。
これだけの事情を分かっていながら、それでも友達か?と思った方へ。
Tが精神を病んでから、かれこれ10年。変わらぬ付き合いを続けている。 一時は、知らない間に自殺未遂を繰り返すほどだったが、ここ数年は自分で「おかしい」と言ってくるようになってくれてる。 あたし達は、Tを「神経の病」と認識している。認識はしているけれど、病名は知らない。
病名も知らないのに、酷いことを!と思った方へ。
神経の病という認識はある。けれど、気にしてはいない。それが、彼女だから。 病名なんて知る必要性を感じない。 あたしは、身体が弱い故、よく風邪をひくと思われている。 でも、人から「また風邪ひいたの?」と言われると傷つくし頭にくる。 わざと風邪をひいてる訳じゃ無いのだし、自分では子供の頃と比べたら丈夫になっているからだ。 風邪ひいて迷惑掛けてるわけじゃない。ほっといてくれっ!と怒鳴りたいとさえ思うこともある。 Tの「おかしくなった」状態は、「風邪をひいた状態」と同じ感覚でとらえている。 若しくは、女性は大抵月に数日イライラ習慣が勃発したりする。それと同程度の感覚で捉えている。 要は、誰にだってあり得ることだ。 それを、イチイチ指摘したり、気にしたりされたら、イヤだろう。 あたしたちは、Tの「おかしな状態」を迷惑だと思うことは無いし、バカにする必要もないし、避ける必要もないし。 「まんま受け入れている」ので、大したことじゃ無いわけだ。
さて。ここまで説明をしても、あたしを「許せない」と思う人が居るのだろうか? 酷いヤツだと言われるのだろうか?バカにしてると思われるのだろうか?
でわ、もう一声。
あたしたちは、なんの邪心も無く、精神状態が悪化しないかと、Tを心配していた。 子供がちゃんと産めるのだろうか?と心配していた。 だから、Hの口から「平気だったみたいよ」という言葉が出た。 そして、心配が大きかったからこそ、単純に、生まれたという報告を喜んだ。 軽口も叩けるぐらいに安心したのだ。
どうだ!これでも、ダメだろうか? これでも、あたしの台詞はいただけないと思うだろうか? それって、意識しすぎじゃなぁい?ヘソ、曲がってないか見てみて。
と、話がタイトルから逸れている訳じゃぁない。 あたしは、近隣の人間が第三者に悪意を抱いているのを感じると、 なんとかその悪意を溶かすべく、このように状況説明をするのがクセだ。 溶かしてもらわないと、あたしは、拒否反応で、その人間の側に居られないからだ。 かなり、しつこい。かな〜り、粘る(爆)。 こんなあたしの行為を人は「御人好し」と呼んでくれるが、そうじゃない。 あたしは自分の為にやってるので、実は違うのだよね。自分の心の平和のためだ。 自分に悪意を持たれているのなら、あたしの言い方が悪いのだろう。 腹を括ることも出来るってものだ。 しかし、あたしじゃない他人に対して、あたしの好きな人間が黒い塊「悪意」を持ってらっしゃる。 こりゃ、大変だ。なんとかしなきゃっ!そんだけの気持ちがあたしを御人好し行為へ走らせる。 結果?はて。時と場合によりますな。あたしはとにかく善人じゃない。 聞いてもらえないならば、悪意が溶けるの待ちますか。ちょっと距離を置いてね。
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