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■ さようなら。
祖父が他界しました。 数えで99歳でした。
とても穏やかな顔で、眠るように亡くなったそうです。 約4年ぶりに見た祖父の顔は今にも目をあけそうな、笑いそうな、温かい顔でした。
「おぅ、おぅ、椿か。元気か?おじいちゃんがいい人紹介してやるからな。」 ってもう長男Rを産んだ後も言われてました。 なんだかずっと心配されていました。私。
結婚式にもなんとか出席してくれて、 「おーい。何言ってるのか聞こえないぞぅー」 と披露宴会場で叫んで、おじさんに外に連れて行かれちゃったりもしたこともありました。
5年前に祖母がなくなったのですが、 それでもずっと「おい。おばあちゃんはどうした。」と何度も何度も聞いていました。
痴呆症だったので、私の父と母アキさんが中心になってずっとずっと介護してきました。 その大変さは想像を絶します。 でも祖父はアキさんがダイスキで、とても信頼していました。
大往生ということで、お疲れ様。ということばが一番先に口をついて出たのだけれど、 思わず声を出して泣いてしまったのは、お骨と一緒に祖父宅に足を入れたときでした。 子供の頃から何一つ変わっていない鎌倉の古ーーい家。 本棚に並ぶ本も、いとこの子供達が集まった時にキリンレモンを飲んだきりこのグラスも、 ヤモリがはりつく台所の窓も、将棋の台も、何もかもが30年くらいずっと同じままで息が止まるかと思うくらいでした。
だけど、祖父も祖母も、もういない。
さようなら。おじいちゃん。 またおばあちゃんと一緒になれたね。お疲れ様でした。
あ、そうそう。おじいちゃんの学生の頃の写真を見ましたよ。 ものすごいイイ男でびっくりしました。色男です。 そういえば、おばあちゃんとは小学生の頃の同級生でしたね。 よく得意げに、 「おじいちゃんはとてもモテたけど、おばあちゃんは泣き虫でな。俺が居ないと全然駄目なんだ。だからもらってやった。」 と言っていましたね。 なるほどね。これならばモテるわね。と今更ながら思ってます。 あ、それから、私、もうイイヒト居ますから。大丈夫です。安心してください。
椿
2004年02月14日(土)
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