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■ 眩しくて。
私には車椅子で生活している友達がいる。
彼は10年以上前に、一緒のバンドでドラムをたたいていた。 学生だったので毎日のように会っていて他愛のない時間、 しかし濃厚なかけがえのない日々を共に過ごしていた仲間だ。 彼はそんな日常で突然倒れた。原因不明の病気で、さっきまで歩いていた足が動かなくなり、上半身にも麻痺が残った。
当時、リハビリを続けながらも極力今まで通りの生活をすることにただならぬ努力をしていたと思われる彼とは、その後も一緒にレゲエの野外フェスに行ったりライブハウスに通ったりした。 私の結婚式にも参列してくれた。 その後、しばし音信不通の時間が流れ、今年の秋ごろか、ひょんなことがきっかけで再び当時の仲間に次々と再会した。 友人のライブで実に10年ぶりくらいに会った彼は本当に何もかわらない笑顔で私に手を振った。 (実際には振れないけれど、元気なら絶対手を上げてひらひらと振っているだろうと簡単に想像がつく笑顔)
その彼が結婚して自分の家を建てたというので、今日は家族そろってお家におじゃました。 もう、なんというすばらしい家なんだ!外観を見ただけで「おぅー」と唸ってしまった。 子供達も「かっこいー!」とおおはしゃぎ。 子供達には一言だけ、「N君は足が悪いから車椅子なの。だから車椅子でも大丈夫なように自分でお家を建てたんだよ」と言っておいた。 元来建築の勉強をしていて今では仕事もしている彼なので、全て自分で設計して建てたおうち。 隅々まで機能的に、そしてとてもセンスよく、長男Rの言葉を借りて言うと、「秘密基地みたい!」なおうちだった。 奥様の美味しいお料理をいただき、久々の話に盛り上がり、美味しいお酒もいただいて、本当に幸せな気持ちだった。 なによりも目の前に居る友人の眩しいことったらなかった。 きちんと生きている。
帰り際にJGが、「N君、なかなか外に出られないから人を呼びたいために家をつくったようなもんだ。って言ってたよ。」と言ってしばらく黙った。 それから「すごく居心地がよかったね。」と言った。 子供達は「面白かったねー!また来たいッ!」と大喜びだった。 子供っていったい何を食べて何で遊ぶのかすごい悩んじゃった。という奥様の心遣いにも泣けてしまった。
帰りのバスで余韻にひたりながら思い返して気づいたけど、そういえば、子供達2人ともまったく普通だった。長男Rはゆっくりと車椅子を押してあげたりしていたし、トイレでは「車椅子だからこんなに広いの?」と聞いたりしてたけど、そのほかは全く普通に他の大人と接するのと何もかわらなかった。 きっと彼らの中では肌の色の黒い人もいるし白い人もいる。と同じくらいの感覚なんだろうか。いやいや、そんなくくりもしていないのかもしれない。 これが、心の中がバリアフリーっていうことなのかもしれない。
またおじゃましよう。 突然一切の自由を奪われた彼の心の内は想像を絶するしそれを語る言葉などないけれど、 また会って他愛のないおしゃべりをしながらも、恥ずかしくないようにきちんと生きよう。と思った。
2003年12月28日(日)
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