日々のあわ
あかり 



 夫について。

突然だが、
私には偏った情熱がある(時に自分でももてあますくらい)。
時にとても不毛な熱だったりもする。

それは、「誰かの人」(誰かの妻、誰かの母、誰かの部下、あるいは上司、誰かの子供・・・etc)ではない
自分だけの情熱であることが多いのだけれど・・・。
それにいきなり水をかけられると非常に腹が立つ、というか窮屈になって泣き叫びたい気持ちになる。

JGはそういうことをしない人だ。
それを受け入れたり黙認したりしてくれることにとても感謝している。

私が言うのもなんだけど、JGはいい男だと思う。
男気があって非常に誠実。愛妻家で子煩悩。
って、いくら自分の日記でもここまで書くとなんかヤナカンジだが・・・なんせアホ妻ですから(笑)
しかし、私が彼について思うとき、一番に思うのは今書いたことではなくて、一般的には欠点と言われるようなところが
一番愛しいなぁと思うのだ。

彼にはひじょーに「抜けている」ところがある。「欠けている」というのかな。
具体的に何が?と上手く言えないけれど。間抜けているところがとてもよい。
外の顔は知らない。前の会社がつぶれて失業中だったときも、仕事を評価されて表彰されちゃうくらいだからきっと頑張ってるんだと思われる今も、
うちでの顔はあまり変わらない。
でも私はその調子で頑張れなどと言う気はさらさら無く、
「ずっと抜けたあなたでいて下さい」って言いたい。
あ、でもこれは本人ちっともわかっていない天然物なのできっと止してくれッって言っても直せるものではないんだよな。


私がいったい何故この人とずっと一緒に居るか。そんなことをなんとなく考えるとやっぱりこの点なんだと思う。
かく言う私も「どこか一つ細胞が欠けてる」(友人談)らしい。
きっとそれは世間迷惑な欠け感。
JGの抜けたところとビミョウに違う部分。
・・・・お互い凹凸で補ってやっと人並みか。

感受性が近いと人は魅かれあったりするものだと思うのだが。
果たして感受性が近いか?というとそうでもないと思う。
熱かったり冷たかったり腹黒かったり小心者だったりひねくれていたりする自分とちがって
フラットな感じ。公平な感じ。それにどれだけ救われてきたか。

音楽や映画の趣味はかなり近い。
「たまんねぇなぁーコイツ、勘弁してくれよ」とテレビに突っ込むのも「うわ。これ、すんごいカッコよくない?」と
心揺さぶられるのも、「やってらんないね。いったいどうしちゃったんだろう」と落胆するのも、
「うへぇー、子供の寝顔ってたまんないねー」と馬鹿になるのも、反応するポイントが非常に近い。
それが日々の生活に高濃度で潤いを与えてくれる。
感受性などと言うほどでもない、もっと平凡で取るに足らないこと。

なんだか全て「これでい〜のだぁ〜」とバカボンパパのように言いたくなる。これってとても大事。

私の「個人的な情熱」について追記すると、
“いきなり水をかけられて腹が立つ”まえに思いとどまり、“窮屈になって泣く”まえに熱がさめる。っていう相手がいる。
それは子供達。
まだ小さい息子達。
下手すると「自分の情熱をもって大いなる人でなし」になりえる私も、
彼らを踏んだり蹴ったり(使い方間違ってますか)してまで成しえようとは思わなかったのである。
それに気づいたとき、実はひそかに胸をなでおろした。よかった・・・。

JGの話にもどるが、
今朝はいい天気で、でも寝坊して、でも洗濯干してなくて、私は残り10分を化粧するより洗濯干しを選んだ。
JGはすかさず、「ありがとう」って言った。うれしい。やってよかったって思う。が、よく考えれば私がしなくたって彼がすればいいはずだ。
でも私は自分でやる。腑に落ちないはずなのになんでこれでいいのか?疑問に思ってふと顔をあげると、パンを焼いて子供達に食べさせる姿がみえた。全てを分割できやしない。
どっちがどれだけやっているか、言い出したらきりがない。
(私のほうがやっているに決まってるが。)求め出したらきりがない。

私は、こんな家事うんぬんよりも、自分の情熱(個人的な)に水をかけられることが一番嫌だ。ムカつくし窮屈で泣きたくなる。
でも、夫はそれをしない。だからほかの事は相当なぶん譲歩していると思っている勝手な私。それでバランスが取れているんだと思う。


2003年11月04日(火)
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