浪奴社員の呟く
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欠けていく根底には、思索することの放棄と譲受されることの安堵が横たわっているその上に、そうと知りつつ忍耐を押退けて駆跳の結論に行着くのだろう、語れ過ぎるドラマに響け過ぎるソングでは、安逸の苦悩は伴わない。
結びつける力を想像力と呼んでいるから、足元を照らし出す白光に秩序を覚え、水平線の頂を描く帆先に希望を見出し、今も視線を上げなければ何も感じない、何も判らない。それが怖くて仕方が無い。
何も怖くないか?感じないこと、わからないこと、何処にも繋がることの無い単体の事象が、延々と羅する列するを見据えて…。あぁ、そうか、だから目先に拘り、夢は彩画の一枚に飾り置かれ、安息の標的はあくまでも傍にある。
例えば、一つ一つのbattleに思想も哲学も即ち人一人の生き様は映し出されても、大局のwarには何も残りはしない。語られる真実の歪曲し、埋められる記憶の腐落し、それでも人は、戦うを選ぶのほかに術を知らない。
言葉は無責任に「戦争は、いけないことです。平和は、いいことです。」
それでも判らないのなら感じないのなら、やってみるがいい。少なくとも私は、闘うを知っている。
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