浪奴社員の呟く
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そういう話も出てくるんやろうな、とは思ってたけど、そうか、新年度からそないなるんやな。なんかな、今更やな。しかも連盟資格なだけで、実効性の乏しいんは明白なんやから、結局「ウチはちゃんとした有資格店ですから!」って、そういう民間は嫌いやねん。
なんでもかんでも縛りをかけていくことで、自由な不自由を満喫なんぞしとるから、責任の所在?目先の私欲?当たり前やないか。考えもせんし、感じもせんし、鈍と重に塗れてるヤツらが、どないして根幹を探り当てることが出来るんや?
今日と10年後の2つの点を結びつけるのは、明日と明日と明日と…の連続性に成し遂げられるんは誰もが知ってるのに、その明日と明日と明日と…を見詰めたまま10年後に繋いでしまえば、修正の施しよう無い誤差が生じてしまうんは、小学生にでも充分判る原理なんちゃうか?2つの点を結びつけるときは、必ず指先ではなく、定めた目標を見詰めて線を描くもんやろ。
感性を蔑ろにしてしまう便利機器に対して、抗う理論さえも知らぬ大人は、十年後をその先に転がる傍石とさえも思ってはいない。明日は当たり前で、暮らすことは生きることで、感じるよりも考えるよりも目元足元に視線を送り、その結末を語ろうか。
「あの国は私たちの生活を、家族を、平和を、脅かす脅威でしかない。即ち、宣誓の徹頭で戦うの異なる選択を余さない。」
一つ易しい目標を投げつけてやれば、隠目の暴徒として駆けつけるのは相異ない。その縮図は身の回りにいつも転がっている。それを支配し牽制し鎮静するさえも、既に覚束ない。
試すのなら例えば我家の中でいい、電気を消して視界を消して歩き回ってみればいい。その程度のことで気付けば、まだ救われるかもしれない。
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