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■ 生まれさえすれば「助かる」?
体重差のある双子の妊娠、 一人の赤ちゃんは致命的、一人はまだ、大丈夫。
二人とも助かればいい、ともちろん、親御さんは思うだろう。
つらく長い、しかし出生後の未来に馳せる幸せと、 そこに行きつくまでの覆いつくされそうな不安に飲み込まれ、 独特の茫洋とした感覚でぼやかされる妊娠期間。であろうと想像する。
彼女らの一番身近なゴールは赤ちゃんを産むことであり、 その後の児の経過を具体的に想像することは難しい。
だが場合によって、条件によって、生まれたあとの赤ちゃんの経過はかなり厳しいものとなり、想像していた生活とは全く異なる事態になる可能性は大いにある。
たとえば双子で、片方が危ないから無理やり途中で帝王切開する。 危ないほうは、もしかしたら寝たきりの一生、最悪は短期間のうちに死亡。 もう一人の大丈夫だったほうも、とても早い時期に胎外に出されたことからくるリスク、障害。
子どもは、血縁だ。 たとえ離婚したとしても、親と子どもの縁は、絶対に存在する。
要するに、ただしく、一生付き合っていく相手であり、 場合によっては長きにわたり背負っていく相手である。
想像している未来は何だろうか? 生まれることさえできたら、自動的に、たぶん生きていける、と思うだろうか?
もし亡くなるとしたら、どうやって亡くなっていくか、想像できるだろうか。
この想像のギャップは大きければ大きいほど、苦しむことになる。 そして、それを容易に埋める方法は、 生まれない限り、限りなく難しい。 そして生まれたときには、もう遅い。
産科の医師が、 ふわっとした説明をするのは簡単だ。 実際にわからないのだから、そうするしかないのもわかる。 けど、結果的に「こんなはずじゃなかった」というのは、 だめだ。
「なんで生かしたの」と泣き崩れた別のお母さんの悲痛な声が、 今も耳から離れない。
2015年08月17日(月)
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