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■ 心の棚の奥の話 壱
―――――大きな史実を間のあたりにしたような気がした。
小さい頃うちには、何も無いと思っていた。 実際何も無かった。 父母は色々事情があって駆け落ちしてゼロからスタートした人達で、 私が生まれる前うちはひどく貧乏で、乗っていた車もすごくボロい軽自動車で「○○さん(←ウチ)のお宅とは付き合わないほうがいいですよ」なんてことも住んでた県営住宅のご近所さんたちに云われてたそうだ(おいおい)。 でも私が生まれる段階になって「いくらなんでもこのせまい県営住宅じゃいけない」と思った母はなんとか格安のマンションを捜してそれを購入する事を決めた。 でもその頃のうちでは頭金の50万すら用意するのは困難で、「こんなんじゃ一生一軒家なんてムリだなぁ・・」なんて、父がそのマンション横目に呟いたものだったという。 結局母(その頃たしかランジェリーのデザイナーだった)が頑張ってお金を貯めて貯めて、なんとか頭金の50万を用意して最後の一軒だった格安マンションを購入して、それからなんとかなんとか返していった。 私はそこでしばらく育った。 マンションのローンもようやく全て返せた頃、総合コンサルタントという会社で働いていた父の仕事ぶりを目の当たりにした当時は原子力研究所の所長さんだった方が、今父が働いてるところの仕事先を勧めた。 せっかくお金を全額支払終えたのに、仕事先が変わるに伴って転居しなければいけなくなった。 そのためにマンションも売らなくては、とてもじゃないがやっていけなかった。 母は泣く泣くマンションを手放し、今の地に移ることを決めた。 そこから家は、少しずつ、少しずつ、上向き始める。 貧乏ながらも父が一生懸命働いたおかげで、小さい頃私が起きてる時ほとんど父に会うことはなかったが、やっと一般庶民くらいにはなれた。 ゼロからスタートして、今は私立の高校にまで通わせて貰っている。
しかし今回三泊四日の旅行で得た真実は、そんなものじゃなかった。
2002年05月06日(月)
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