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■ 誕生当日
本日の担当:ユキリン
2年前の本日、6月1日のお話。
手術を免れ、どうにかこうにか陣痛室に再び戻った私。 日付は変わって6月1日になっていた・・・。 為す術も無くオロオロしながらも銀吟はずっと傍らにいてくれる。
陣痛は5〜10分おきくらいには起こっているけど 不思議なことに本で読んだとおり、陣痛が起きていない間は全く痛くない。 その間にうとうと〜として、再び痛みでハッと目を覚ます、の繰り返し。 かなり痛く感じるのに全開大の10センチには程遠く、 3〜4センチしか子宮口が開いていない状況だった。
銀吟は前日からのスーツ姿のまま、私のベッドの横の椅子でコックリ。 助産婦さんも、看護婦さんも「まだまだよ〜」と言うので 明け方4時近く、「帰っていいよ」と言ってみた。 本当はそばにいて欲しかったけど ハッキリ言ってさすってもらったとこで、どうこうというもんでもない。 銀吟はヨロヨロと立ち上がって帰っていった。
その後朝の7時半くらいまで、そんな静かな状況が続く。 …が、またしても、看護婦さんと、今度は院長が走ってやってきた。 うとうととしていた私は何がなにやら…。 でもそれが最後の宣告。 「赤ちゃんがもう危ない。緊急帝王切開手術にするよ。いいね」 私は、黙ってこっくりとうなづくだけだった。
その後はあっという間。 麻酔を背中から打たれ、裸にされ、手術台にのせられ、 なぜかそんな状況なのに仰向けのまま同意書にサイン。 「これ痛いかなぁ」と金属のようなものをお腹にぴちぴちと当てられ 首をふったとこまで覚えてる…。 そこからはもう夢の中。
…気付いたら、病室に運ばれていた。 横に心配そうに立っている銀吟。 あれ?なんで私ここにいるんだろ?ここどこ? そういえば赤ちゃん、赤ちゃんは?
「生きてるの?赤ちゃん」 銀吟はビックリして 「生きてるよ、ちゃんと生まれたよ」と答えた。
局所麻酔だと思っていたのに、私は何も覚えていない。 産声も聞かなかった。 気付いたら病室だった。 生まれた赤ちゃんは、2562グラム。 2500超だけど、危険な状況だったということで 保育器に入れられたと銀吟から聞いた。 初めて抱っこしたとも。
私は術後で動くことが出来ず、赤ちゃんも保育器の中。 結局、誕生当日に私が娘に会うことは出来なかった…。
2年前を思い出すと Rinが無事生まれてきてくれたことに ただただ、ありがたい思いでいっぱいになります。
6月3日に新生児室のガラス越しで 初めてRinに会った時、涙がぽろぽろこぼれました。 そしてたくさんいる赤ちゃんの中で なぜかRinだけに 光が射しているような気さえしたのでした。
それは2年経た今も変わらず きっとどの親御さんも思うように、たくさんの子供達の中にいても Rinだけが光の中にいるように思えます。
いつまでも元気で笑っていてくれますように。 誕生日に感謝!
2002年06月01日(土)
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