窓のそと(Diary by 久野那美)
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
どうしてなのか前からずっと不思議なんだけど、戯曲には楽譜のように音の質について記す手段がない。フォルテもピアニシモもアレグロもフェルマータも書き込むことができない(ことになっている)。劇作家は自分の書いた言葉の音の種類を役者にも演出家にも観客にも伝えることができない。仕方ないので、句点を休符の替わりにつかったり、1小節ごとに行を変えたりしてみる。なんとかしないと、ことばの意味に音の質まで支配されてしまうような気がして。ひとつの言葉、ひとつの台詞、ひとつの物語の持つ意味は無限に想定できる。音の質のわからない言葉の意味をそもそもどうやって限定するのかと考えると、これは全く本末転倒な気がする。音質を間違ったら物語の意味なんて簡単に変わってしまうじゃないかと思う。
言葉は音楽の仲間だと思ってるので、基本的にはじめからおわりまで台詞という音で構成されている「戯曲」は、楽譜の一種だと思っている。(ちゃんと、曲という字も入ってるし) (だから、演劇というのは、音楽のついた写真のような気がしている。) 役者さんの口から出てくる音の質が気になって気になって仕方がない。 音の高さ・大きさ・リズム・テンポ・ブレスの位置・他の音との重なり方・・・ 自分で自分の書いたお芝居を演出するとき、稽古のはじめのうちは音のことばかり言っている。 高いので1オクターブ下げて、とか、リズムを一定にして、とか、ブレスの位置替えて、とか、Aの音が強すぎて攻撃的なので平坦にして、とか。
********* 今日、月に1回台本を書かせてもらっている、KISS-FM放送ラジオドラマ「STORY FOR TWO」の収録があった。なんだか、どうしてもそうじゃないといけないような気がして、ある部分をすべてひらがなで表記した。誰が話してるのかわからない、物語の形をしたことばだった。 「ひらがなで書いたので、ひらがなで読んでくださいね。」と役者さん(エレベータ企画の大野美伸さん)にお願いした。
<ひらがなのことば>について、演出さんと役者さんと4人で議論した。 ゆっくりしたテンポや意味に合わせて抑揚をつけたリズムではなく、淡々と芸のないリズムとテンポに沿って、音色と強さと高さだけで「優しさ」を表現できれば、というようなことを話し合った。 「すごくへたくそで、慣れてなくて、抑揚をつけたりする技術もないんだけど、愛情だけがあるお母さんが小さい子供に絵本を読んであげるような感じ。」
大野さんは健闘してくださって、取り直すたびに違ったものになっていった。 収録の後、大野さんの相手役の腹筋(善之介)さんに、 「大野さん、地球だったでしょう。」 と、言われた。
ああ。そうか、と思った。 無限に優しい、どこにもその意味のよりどころを持たない、ただ、目の前の対象に与えるためだけにそこにあるようなことばを書きたかったんだと思った。
そうか。あれって地球の台詞だったのか・・・。
→タイトル一覧 過去へ← →未来へ
|